愛について カリール・ジブラン
『よく生きる智慧』(柳澤桂子・小学館刊)より
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カリール・ジブラン(レバノンの詩人、1883年〜1931年)は多くの困難に出会いながらも、詩篇『預言者』を1923年に発表します。
『預言者』は、ジブランの思想「神と愛は宇宙に偏在している」を表現した作品で、自ら「私の魂が考えることのできた最高のもの」と評しています。
詩篇は、預言者・アルムスタファが、オーファリーズという街から去る際に、街の人たちからの問いに答えるという形を採っています。
この舞台設定は、人間に内在する「観察者」が三次元物質宇宙を去る際に、残された人たちへ生命の智慧を開示するという比喩かと存じます。
注) 「預言」とは、本来、言葉という記号で表象できない神の法則、真理をあえて言葉で代弁したものです。それは真理の預(あず)かりの言葉で御座います。
一方、「予言」とは、三次元物質宇宙の未来に関して事象、物象を予測するモノ言いです。両者は根本的に全く違う次元を扱っています。
ジブランの詩篇『預言者』は、まさに「預言」であると存じます。
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そこでアルミトラがいいました。「愛についてお話しください」
アルムスタファが顔を上げて人々に目を向けると、みな静まりかえりました。
大きな声で彼はいいました。
愛があなたを招くときには、それに従いなさい。
けれども行く手には困難がつきまとい、その道は険しい。
愛の翼の中に隠されている刃があなたを傷つけるかもしれないが、もし愛の翼があなたを包んでくれたら身を任せなさい。
北風が庭を荒らすように愛はあなたの夢を打ち壊すかもしれない。
でも愛があなたに話し掛けるときにはこころから信じなさい。
愛はあなたに宝を与えもするし、あなたを苦しめもする。
愛が陽を受けて揺れている枝の所まで来てあなたを愛撫するときでも、
愛は根の所まで降りていって木を揺すり、地に倒してしまうかもしれない。
愛はとうもろこしの束のようにあなたを束ねる。
愛はあなたを麦のように脱穀機にかけて裸にしてしまう。
愛はあなたの殻を剥(む)いてしまう。
愛はあなたが粉になるまで挽(ひ)く。
愛はあなたが柔らかくなるまで捏(こ)ねる。
それから愛は、あなたが主の神聖なパンになるように神聖な火に入れて焼く。
愛はこうして、あなたのこころの秘密を暴(あば)いてみせる。
そしてそれを悟ることによって、あなたは神のつくられたいのちのこころの一部となるのだ。
けれども、もしあなたがこころの秘密を暴(あば)かれることを恐れて、愛の平穏と快楽だけを求めたいならば、あなたは脱穀機から抜け出して、一年中笑うけれどもこころから笑うことはなく、泣いてもこころから泣くということのない世界に生きなさい。
愛は愛そのものしか与えないし、愛以外のものを取り去ることもない。
愛は所有することもないし、所有されることもない。
愛するときは「主が私の魂の中におられる」といってはいけない。
愛するときは「私が主の魂の中にいる」といいなさい。
あなたは愛の行方(ゆくえ)を支配しようと思ってはならない。
もしあなたが愛に相応(ふさわ)しいものであるなら、愛があなたを導くのだ。
愛は自分自身を満たすことだけを望んでいる。
けれども、もしあなたが自分のこころに愛を感じていて、さらにこころを満たしたいと願うなら、その願いを次のようなものにしなさい。
流れる川のように夜のあいだも歌っているようなもの。
優し過ぎることの痛みを知るようなもの。
愛を理解することによって傷つくようなもの。
血を流すことを自ら進んでするようなもの。
夜明けに軽やかなこころで目覚め、新たな一日に与えられた愛に感謝するようなもの。
昼の時間に休んだら静かに愛の法悦を思うようなもの。
夕べに家路に就(つ)くときに、感謝の気持ちに満ちているようなもの。
一日の終わりに、あなたの愛するもののためにこころで祈り、感謝の歌を歌いながら眠りにつくようなもの。