与えるものが受け取るもの

バシャールさんは仰います。
「宇宙にはただひとつの法則があるだけです。それは、
『あなたが与えるものが、あなたが受け取るものである』という法則です」と。

このサイトを閲覧するような奇特な人の中には、
「与えるものが受け取るもの」という言葉をその字面(じづら)通り解釈する人はいないとは存じますが、この意味深長(しんちょう)な謎(?)の言葉を私なりに解釈しますと・・・

『あなたが与える態度が、あなたが受け取る態度である』
と言っています。

「態度」とは、行為・言葉・表情です。

「態度」の裏付けは「情緒」です。
つまり、
『あなたが受け取った情緒を、あなたは再び受け取る』
と言うことです。

「情緒」を生み出した源泉は「観念」です。
ということは
『あなたは、あなたがしがみついている観念が生み出した宇宙で生きるしかない』
ことになります。
これは極めて真っ当な物言いですね。

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観念・情緒・態度の無条件反応

1.本来は無垢・中立な「出来事」を「観念」フィルターというイロメガネがとらえる
2.「観念」に付随する思念が出来事を判断し思考を経て「感情・情緒」を現出させる
3.「感情・情緒」が「態度」として表明・フィードバックされ「観念」を裏付ける

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もし、あなたの生きる宇宙があなたを閉じ込める不幸・地獄と感じるのなら、無条件反応の過程としての「態度」を天国のものに意図して変えることで、あなたは天国に生きることになります。

宇宙にはただひとつの法則があるだけです。それは、
「あなたが与えるものが、あなたが受け取るものである」という法則です。

これこそが豊かさです。
豊かさの本質はこの法則にあります。
私たちはなんて豊かなのでしょう。
すでに私たちはこの上もなく豊かなのでした。

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ラムサは仰います。

――私の教えは真実ではない。信じてはいけない。
あなただけが真実である
何故なら、真実とは、あなたの主観が「表現」する現実なのだから。

――私とは、自分の運命を創造し、人々を偉大な理解へと導いたユニークで、力強く、素晴らしい「表現」であった。
私は理解した。私は私をそう理解したのだ。

――この物質の天界は、「見せる天界」、「表現する天界」とも呼ばれる。
何を「見せ」、何を「表現」するのか?
あなたという神だ。

ラムサの仰る「表現」とは「態度」のことです。
「態度の表明」のことを、ラムサは「表現」と言っているのです。

――悩みなどとは無縁の腹ぺこの子供のように食事をしなさい。
あなたが飲み込む一口ごとに、幸せでありなさい。
態度がすべてだ。

――既にあなたは、至福の天界で自己を神として成就させた。
あなたという精霊は、既に、自分が神であることを知っている。
それなのに、あなたは何故、再び、この物質の天界で自己を神として表現することを選択したのだろうか?
それは、この濃密な物質の天界でしか真の体験として完了させることが出来ないからだ。
この物質の天界はまた、表現する天界と呼ばれる所以(ゆえん)である。

――あなたの正体が露(あら)わになる―本性で生きる―至福の天界において大切なことは、何だろうか?
それは、この物質の天界で成功と言われるもの―どれだけ金を稼いだか、どれだけ有名だったか、あるいは清貧だったか、華美であったかなどとは全く関係が無い。
そのようなものを、至福の天界でひけらかす者など誰もいない。注目する者すらいない。
至福の天界で大切なことは、あなたが、この物質の天界―表現する天界―で、自己をどう定義してそれをどう表現したかということだけである。

――我々が霊性のパラダイムに則って生きるには、生を霊的な意味において扱わなければならない。
それは、この天界がまるで至福の天界であるかの如くに生きていくことを意味する。
嫉妬、羨(うらや)み、怒り、争いといった態度を持たずに生きるのだ。
欲深く、自己中心的で、自己の境界線を固持し、生きるために生き、ずる賢く、人を操作し、利用し、虐待し、偽善者を装うという様な、自分を閉じ込めてしまう生から抜けるのである。
我々は、この表現する天界でそれを、肉体に入ったまま行うことに意義がある。

 

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