パーソナリティのプリズム

人は個としても集合としても、些事にも大事にも、常に豊かさを求めて生きて来たし、今後も生きていくのでしょうね。

さて、人が求めて止まない「豊かさ」とは何でしょうか?
相対的かつ多様な関係性の「優」の側――高、正、真、勝、得、上、ポジティブ、好、美、広、多・・・の側――に立つことが、社会通念上の豊かさです。
しかし、この関係性はそもそも、社会(人間)が画一的に枠組んだ多様な属性に乗っかるコントラスト・差分でしかありません。
社会(人間)が画一的に枠組んだ多様な属性を「観念」と申します。
その観念は100%、社会(人間)の恣意性に拠るものです。
人は明に暗に、多かれ少なかれ、このチンケな観念の些末(さまつ)なコントラストの「優」側に自己同一化を図りながら生きているという訳です。
あるいは、生きるとは、他者と同意した観念において「優」側への自己同一化の企てと言っても良いかと。
「優」側への自己同一化――これが、人が求めて止まない「豊かさ」の正体です。
現代日本では、「豊かさ」の代名詞は「お金」です。
「健康」もかなり志向性が高いかと。「容姿」、「家族」、「友人」、「知力」、「体力」、「武力」、「面白さ」・・・人それぞれで「豊かさ」を計る属性の重みは違うでしょうが、相対的な関係性の「優」側に立たなければならない=豊かにならなければならない、というベクトル志向の構図は同じです。
そして、社会はこの「『獲得した』、『認知された』豊かさ」の中だけに「幸福」があると信じ込ませます。
幸福は犠牲を払って=努力をして、掴み取らなければならない、
他人に幸福そうだと思わせるフリをしなければならない・・・・

現代社会の本質は、観念が生みだす二元の相対関係というシーソー、そのアップダウンゲームだったのです。

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さて、人は「出来事」を判断し思考して感情を湧き立たせます。
判断・思考・感情をここでは「思念」と呼ぶことにします。
フツフツと途切れることなく湧き立つ「思念」――その「思念」を生起させているものは・・・・
「観念」です。
「観念」が「思念」を産み出しているのです。

歓び、哀しみ、楽しみ、絶望、恐れ、怒り、希望、憧れ、赦し、嫉妬、後悔、恥、痛み、恨み、孤独、諦め、感謝、誉れ・・・・
「出来事」に対する私たちの「思念」は「観念」フィルターを通して顕現されます。

ということは、ステキな「思念」を体現するには、ステキな「思念」を生起させる「観念」を通せば良いことになります。
「出来事」そのものに意味など有りません。
(意味を探すとしたなら、自身の「観念」の方でしょう。)
「出来事」を解釈するフィルター(観念)を変えれば、「思念」が変わります。

「観念」とは世界観・宇宙観です。
私たちのモノの見方である「視点・視座」を乗っけているモノの「見え方」、それが「観念」です。

私たちは意図を持って「視点・視座」の立ち位置・角度を変える――つまり「見方を変える」ことは出来ます。
しかし「観念」は意図を持ってして変えることは極めて困難です。
「観念」は、モノゴコロが付くまでに親によって植え付けられ、心身と一体化してしまったイロメガネです。
私たちにとって、自己とほとんど一体化してしまっているイロメガネの存在には、気付くことすら難しい・・・

では、私たちは結局は湧き出でるワンパの「思念」を描き代えることは出来ないのでしょうか?

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判断・思考・感情を、私は「思念」と呼びました。
その「思念」の最終形態は「情緒」です。
「感情」の奥に潜むフィーリングが「情緒」です。
実はこの潜んでいるフィーリングにも深さがあって、私たちの意識が感得できる「情緒」の程度には、個人によってかなりのバラツキがあります。

湧き上がった「感情」・「情緒」を私たちは「態度」として表明します。
「態度」とは、行為・言葉・表情です。
この表明された「態度」(行為・言葉・表情)が、「観念」にフィードバックされ、その「観念」を強化します。

まとめますと、
1.「観念」フィルターというイロメガネが出来事をとらえる
2.「観念」に付随する思念が出来事を判断し、思考を経て「感情・情緒」を現出させる
3.感情・情緒が「態度」として表明・フィードバックされ、「観念」を強化する
というサイクルを造っています。

と言うことは、3 の過程で「態度」を
ステキな思念を生起させる「観念」用のものに代えれば、
ステキな「感情・情緒」を体験でき、
更にその「観念」を成長させることが出来ることになります。

さて、あなたの採る「態度」は、二元の相対関係のシーソーゲームにおける「優」の側のものでしょうか?(ヤレヤレ・・・・)

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昔の人がこう言いました。
わが身から出るものはいずれ我が身に戻り来る、と。
お金に執着することなく、喜んで働きましょう。
かつて一度も傷ついたことがないかのごとく、人を愛しましょう。
誰もみていないかのごとく自由に踊りましょう。
誰も聞いていないかのごとくのびやかに歌いましょう。
あたかもここが地上の天国であるかのように生きていきましょう。

       (世界がもし100人の村だったら)

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悩みなどとは無縁の腹ぺこの子供のようになって食事をしてほしい。
あなたが飲み込む一口ごとに、幸せでありなさい。
態度がすべてだ。

       (ラムサ)

 

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