第四章 世界一ハッピーな女性の物語

    (ハッピーになるための10の習慣  エドワード サウスウイック (著), Edward Southwick (原著), 菅原 秀 (翻訳) より)


無一物でハピネスをつかんだ人

ハピネスを完全に自分のものとして体得できた人は、今までにどのくらいいるのでしょうか?
私はほとんどいないと思います。
世界中の人々から慕われでいるイエス・キリストや釈迦は、そういったハピネスを完全に自分のものにしただけでなく、まわりの人々にも分かち与えた人でした。
だからこそ、世界中の数え切れないほどの人々が、キリスト教や仏教を心のよりどころとしているわけです。

もちろん宗教の相違によるいがみ合いは現代に至るまで絶えていません。
しかし、多くの宗教紛争は教義が原因というよりも、その教団に属する人間たちの欲望が生んだドグマティズム(教条主義)によるといったほうがいいでしょう。
つまり、自己中心的で、自分たちだけが正しいと考えて他人を排斥するのです。
そういう考え方は、本来のキリスト教や仏教には存在しません。

キリスト教は愛を教え、仏教は知恵を教えました。
いがみ合いをするとは、その愛も知恵もどちらも無視することにほかならず、信仰する教えに向かってつばをはくのと同じだということができます。

それとは逆に、貧民や飢餓に直面している人々に救いの手を差し伸べている世界の宗教家たちは、異なった宗教同士の争いに加わろうとはしません。
宗派を超えて助け合おうとする宗教家たちによる国際会議を盛んに行っています。
このような宗教会議には、名前も知られていないような教団もたくさん参加し、貧困と飢餓の撲滅のために戦っています。
宗派の相違を恐れる必要は全くないのです。
私たちの生命をはぐくんでくれているこの宇宙、あるいは自然の摂理に対し感動し、かつ感謝し、そして自己向上の努力をするというのが全宗教の共通項です。
忘れてはならないのは、イエス・キリストや釈迦のような傑出した存在が、人類がついおろそかにしがちなその共通項を、私たち凡人にもわかるような言葉で教えてくれたということです。
教えの探い意味に正しく心をくだけば、宗教同士の争いをする暇はなくなるに違いありません。

こういった悟りのレベルに達した人たちの心のハピネスレベルは、計り知れないほど高いものです。

十字架にはりつけになったイエス・キリストは、自分を殺そうとしている人々を許してくれるように神にこいねがいました。
キリストは、死の恐怖をも愛に転換する力を持っていたとしか思えません。

同様に、自分を殺そうとした提婆達多(ダイバダッタ)を仏の化身としてうやまったのが釈迦です。

つまり、キリストと釈迦のHQは、人類が到達すべき最高点だったということがいえるでしょう。

HQが6か7程度でしたら、私たちでも努力さえすれば達成できないわけではありません。
しかしHQが8以上ともなると、人格的に高い精神性を持つとともに、長期間にわたる修行をする必要があります。

そういった高いレベルの人々の人生を知ることは、私たちに数多くのヒントを与えてくれます。

残念ながら、キリストや釈迦は大昔の人であるため、のちの人たちが教養をゆがめて解釈したり、不正確な伝記を記述したりしているので、その素晴らしさを知るためにはもどかしい思いをしなければなりません。

でも、安心してください。
私たちの現代にも、そういった偉大な人のレベルに近い大きな心を持った人がいます。

ノーベル平和賞の受賞者たち、あるいは、全く無名の人々の中にも、そういう人はいるかもしれません。

私がこれからお話ししようとする人物は、まさにHQのハイレベルに到達しています。
そのうえ、それを長年にわたって維持した大きな心の持ち主です。
この人物は日本ではほとんど知られていませんが、アメリカ各地の新聞が長年「奇跡のようだ」と言って書き続け、全米各地の数十万人という人々の心を感動させてきたのです。

しかも、その人は一切の宗教団体や機関とは無関係で、財産も地位もなくさらに住む家や家財も持っていませんでした。
彼女の名は、ミルドレッド・ノーマンといいます。


独立心の強かった少女時代

今でこそ、ミルドレッド・ノーマンという名前は知られていますが、彼女が死ぬまで、その本名を知っているアメリカ人はほとんどいませんでした。
全米各地の新聞、テレビ、ラジオはこぞって彼女の行為をほめたたえ、恐らく彼女を報道した記事、ビデオ、録音テープを集めれば、数十冊の本でも書ききれないほどの量に達しているでしょう。

それほどまでに報道されたにもかかわらず、アメリカのマスコミは彼女の名前を知りませんでした。
いや、知ろうとしなかったのです。
そして、さらに正確にいえば、知る必要はなかったのです。
マスコミは彼女のことを常にピース・ピルグリム(平和の巡礼)と呼んでいました。

彼女自身も自分の名前を言わなかったのですが、取材するマスコミ側も、彼女の行動を知るにつけ、その名前や経歴を調べたりするよりも、そのメッセージを正しく伝えることのほうに専念したのでした。
マスコミが通常必要とする、いつ、だれが、どこで、何を、というお決まりのルールを超えていたのが、彼女の存在そのものだったわけです。

ミルドレッド・ライダーは、ニュージャージー州のエッグハーバーという町で1908年に生まれました。
父親は土木建築業に携わりながら、農業をやっていました。
その兼業農家の長女として生まれたのがミルドレッドです。
アメリカで最初にラジオ放送が開始されたのは1920年。
したがって、彼女が生まれたころはまだラジオ放送がなかった時代です。

決して金持ちではありませんでしたが、生活に困ることはない程度には収入がある、安定した家庭だったようです。
静かで牧歌的な農村の平凡な一家でした。
両親はどの教会にも属していなかったようですが、子供たちをいいかげんに育てるようなことは決してなかったようです。
教会とは無縁でありましたが、ミルドレッドは幼少のころから人を思いやり、正直を旨とする子供でした。
両親の生活態度が彼女を自然にそうさせたのでした。

とても頭がよくて、三歳のころにはもう文字を読むことができたそうです。
高等学校も同級生たちより一年早く卒業しました。
高校では弁論部(ディベート部)の部長をしていました。
彼女のディベートには「説得力」があったそうですが、のちにいくつかの平和団体で働くことになったミルドレッドは、「抜きんでた説得力と交渉力の持ち主」と評されました。

このような高い精神性とハピネスレベルを獲得した人たちは、大変聡明で、恐らく天才だったのではないかと思います。
例えば、フランク・ラーバックは修士課程と、博士課程をわずか二年半で修了しています。
ガンジーは腕利きの弁護士でした。
アブラハム・マズローは人生を自己実現と高いハピネスレベルの獲得に捧げた人ですが、IQは196ありました。
彼らはHQも高く、そのうえIQも高かったのだということを知り、彼らがハッピーについて語った哲学をますます信じようという気持ちになりました。

ミルドレッドが初めて教会へ行ったのは十六歳になってからでした。
それも友人の結婚式が行われるというので参列しただけでした。
この教会へ行かなかったということは、のちのミルドレッドの人生形成にプラスに働いたようです。
つまり、教会によくありがちな、過度に戒律的な教えや、教条的な教えに触れずにすんだからです。

近所の小川から水を汲んできて、洗濯や炊事の手伝いをするという生活ぶりで、家のまわりはまさに自然そのものでした。
ミルドレッドが特に好きだったのは、小川で泳ぐことでした。
高い橋の上から飛びこんで、友達を驚かせるような活発な少女だったようです。

隣の家は父親の実家で、ミルドレッドの叔母さんが三人、叔父さんが一人住んでいました。
叔母さんと叔父さんは政治や哲学の話をするのが好きで、ミルドレッドは毎日夜になると、大人たちの議論を聞きにいったものでした。

時代はちょうど第一次世界大戦のころ。
アメリカはドイツに宣戦布告をしており、サンフランシスコでは排日運動の波が高まっていました。
ロシアでは共産主義革命が起き、世界中が揺れていました。

アメリカは、世界に先駆けて自動車工業、鉄鋼業、家電工業などを大発展をさせ、オートメーション方式を導入して、その繁栄は永久に続くかと思われるほどでした。
ハリウッドの映画産業が花開き、ウォルト・ディズニーの登場で、映画文化も頂点に達していました。

しかし、オートメーションを進めた結果、失業者は増加し、また農作物の暴落で農民たちは苦しい生活を強いられていました。
ミルドレッドは、叔母と叔父の話から、周囲の田園風景からは想像もつかない世界とアメリカの動きを耳で学んでいったのです。

そういった利発な子だったので、ミルドレッドは高等学校では弁論クラブに所属し、たくみなディベートを行う能力を身につけていきました。
特に好んだのは、哲学などの難しい話題でした。
ディベートとは相手を論理的に打ち負かそうとする討論のことですが、ミルドレッドは日常生活ではそれとは逆に、相手と友情を結ぶにはどうしたらいいかということにたけていました。

高校生時代にアルバイトをしていた店でのことです。
店番をしていると、お客さんへ払う細かいお金がなくなってしまったことに気づきました。
他の従業員がみな外出していたので、「休業中」の看板を出して両替をしに行きました。
店のマネージャーが戻って来てこの看板を見て言いました。
「外に出る時は『休業中』の看板を出してはいけないことになっている。担当者から指示されなかったのか?」
彼女はそういう指示は受けていなかったと答えたところ、その指示を出すべき立場だった先輩の女性販売員がマネージャーから叱られました。
その結果、先輩はミルドレッドをうらむようになってしまいました。

そこで、どうしようかと考えたミルドレッドは、自分の家の庭から先輩の好きな花を抜いて持ってきて、先輩の机の花瓶にさしてこう言いました。
「さしてあった花がしおれてましたから、家の庭からあなたの好きな花を持ってきました」
そして数日後には、互いに腕と腕をとって歩くほど仲直りすることができたのです。

ミルドレッドはこういったやり方で、「友情を得たいのなら、フレンドリーになるべきである」というハピネスの法則をいつも実行していました。
友達をつくるのが上手で、しかも社交的だった彼女は、学校を卒業するとたくさんの友人たちと遊び回るようになりました。
当時の若い女性はめったに化粧をしなかったのですが、ミルドレッドだけは町中でたった一人、マリリン・モンローのような化粧をして高価な毛皮のコートを身にまとったりしていました。

まわりの若い女性たちはみなお酒を飲み、タバコも吸っていましたが、ミルドレッドはここでは個性的な反応を見せています。
ある日、友達の家でパーティーをしていたところ、まわりの友人たちからお酒とタバコを強く勧められたのですが、はっきりと断りました。
そのことを彼女はこう語っています。
「私は、お酒を飲まない、タバコを吸わないということを選んだのです。つまり自由を選んだのです」

まわりの人と同じことをしないという独立心の強い彼女は、仕事の面でも成功しています。
ある全社に雇われてその能力が認められ、一般の人の倍の給料をもらっていました。
だから、ミンクのコートに身を包み、スポーツタイプの車を乗り回すという派手な暮らしもできたわけです。

ダンスも上手でしたので、町中の男の子のあこがれの的でした。
彼女を射止めたのは、二歳年下のマッチョタイプのハンサム青年でした。
二人はやがて結婚することになります。
しかし、彼のほうは、精神世界のことや奉仕活動、平和活動にあまり興味がありませんでした。
また、ミルドレッドは戦争に大反対でした。
夫が兵士になって海外赴任を命じられた時、ミルドレッドは戦争を履行する軍隊に対し、間接的にではあっても協力したくないと考え、夫について行くことを拒んだのです。
それがきっかけになり、二人は離婚しています。

さらに結婚生活の間に、父と母を相次いで亡くすという悲しみにも直面しています。
ミルドレッドは、両親の死、それに離婚という重い経験をへて、人生観を大きく変化させていきました。
そして、高い給料と十分な家財に囲まれて暮らすことが、決して自分をハッピーにしないことに気づいたのです。


神様、私を使ってください

ミルドレッドは自分の人生がこれからどうあるべきかを毎日考え続けていました。
そして、三十歳になったある日の夜、ふと近所の森の中へ入って行き、自分の内面を見つめながらさまよい歩き始めたのです。
「私はこれから何をすればいいのでしょう。
どうして私はハッピーじゃないのでしょう。
神様、どうか私の行くべき道を教えてください。」
静まりかえった夜の森の中を歩きながら、彼女は祈り続けました。
そうして何時間もさまよい歩いていると、心の中に何かが生まれてきました。
すると、さっきからの祈りが、新しいものに変化してきたのでした。
「神様、どうか私を使ってください。
私をあなたの道具にしてください。」
そして、ずっと朝まで歩き続けたところ、やがて彼女の願いは少しずつ確信のようなものになってきました。

「そうだ。私は神様の道具だ。
私の人生を神様に捧げるのだ。」
そういう強い決心が生まれました。

ミルドレッドは、この日を境に、お金や車や衣類などの所有に興味を失い、「あること」に向けて準備を始める生活に入りました。
「あること」の具体的な中身は彼女自身わかりませんでしたが、神への奉仕活動、あるいは他人を助けたり、世界を住みやすくするための活動に向かって、準備を始めなければならないという確信はありました。
それに基づいて彼女の生活を少しずつ変えていったのです。

この年、1938年、ドイツのナチスはオーストリアを併合し、ポーランドへ攻め入ろうとしていました。
また、ドイツ、日本、イタリアが手を組んだファシズムによる世界制覇の動きが、世界に暗い雲を立ちこめさせ始めていたのです。
アメリカ各地では、ドイツと戦うべきだという世論が盛り上がっていました。
ミルドレッドは、戦争回避の道を模索している各地の平和団体の活動に参加し始めました。
「平和と自由を求める世界女性連盟」の代表としてワシントンに赴き、政治家に対して戦争回避の道を訴えるロビー活動を先頭に立って行いました。

ミルドレッドの説得の仕方は実に明確で、多くの平和団体が彼女の活躍に関心を持つようになりました。
平和運動のまとめ役として頭角を現していったのです。
さらに平和運動だけでなく、YMCAが行っていた身体障書者への無料相談の奉仕活動にもかかわりました。
彼女は行く先々で、人々を愛し、助力し、励ましたのです。
「あること」に向けた彼女の準備活動とは、平和と社会奉仕のために身を粉にして働き続けるということでした。

しかし、こういった活動をしていでも、彼女の心の中はまだ完全には安定していませんでした。
ただ、以前よりは確実にハッピーでした。
ハピネスレベルは上がったり下がったりしました。
そのため、一定の高みに落ち着くということがありませんでした。
彼女は、その原因がまだ捨てきれないでいる自分の中のエゴ(自我)にあるということがわかっていました。
平和活動と社会奉仕活動は、彼女にとっては自分自身のエゴと自己中心的な考え方を捨てるための修行過程でもあったのです。

彼女が自分の内面の平和とハピネスを得るために、どういう困難に出あったかを示そうとしてしばしば描いたのがこのチャートです。
1.自己中心の状態での感情の上下。
2.三十歳で一晩中歩いて祈った夜、心から奉仕する決心。
3.神中心の心と自分中心の心の戦い。
4.最初のピーク体験。本当の高い内面の平和(ハピネス)を初めて体験する。(イリュージョン・ピリオド)
5.内面の平和の長い継続。
6.完全な内面の平和。
7.平和とハピネスを保ちながら安定した成長。(四十五歳から)

「あること」への準備期間は十五年も続きました。
1952年の夏、四十四歳の時、ミルドレッドはこの準備期間の締めくくりと思われる行動を行っています。
アメリカ東部を南北二千四百キロにわたって縦断しているアパラチア山脈の、全行程踏破にチャレンジしたのです。
日本の本州の青森県先端部から山口県先端部までの距離が約千三百キロです。
その本州の長さの約二倍に匹敵する距離が、すべて険しい山の連なりになっているのがアパラチア山脈です。
女性初のアパラチア山脈踏破に成功したミルドレッドは、フィラデルフィアのラジオ局でのインタビューにこう答えています。
「とても楽しい体験でした。
とても勉強になりました。
そしてインスピレーションを得ることもできました。」

実は彼女の語るインスピレーションというのは、四十歳くらいの時に初めて体験したものです。
ある早朝、山の中を歩いていると、突然自分自身の精神がかつて体験したことのない高みに持ち上げられているのを感じたのでした。
まるで地球の上を歩いているとは思えないような感覚で、まわりの花や草や木々が彼女に向かって挨拶しているように感じたのです。
そして、まわりの景色や空気が黄金の時雨のような感じで天から降り注いできたのです。
ミルドレッドの心の中には、まわりの自然と一つになったような感覚が広がり始めました。
それは、平和に満ちていて静かで、しかし強い意志を伴う感覚でした。
まるで神様と自分の心が一つにつながっているような感覚でもありました。

この感覚は宗教家が悟りを得る段階で感じるもので、「イリュージョン・ピリオド」と呼ばれています。
この体験で注目すべきは、黄金の時雨ではなく、心の中の現実感の大きな変化という事実です。
彼女は、地球上のすべてのものが一体であり、生物も、空気も、水も、また地球自体も一体であるという感覚に包まれたのです。
そして、その一体感こそ神からの影響であるということを体験したわけです。

この感覚の体験以来、たとえ少しの問、高みから落ちることがあっても、すぐに高いレベル(恐らくハピネスレベル8〜9)まで回復でき、より長くそのレベルにとどまれるようになりました。

彼女は、自分のエゴを捨てるというレベルを数年問にわたって保てるようになってきたのです。
その結果、他人に心の底から奉仕できる愛の世界を獲得することができたのでした。
そして、彼女が四十五歳になった時、このイリュージョンの体験に引き続いて、今まではっきりとイメージできなかった「あること」の形がはっきり見えたのです。

遠くニューイングランド(アメリカ)の野原を臨む山の項に腰を下ろしながら、ミルドレッドは頭の中に、ピース・ピルグリム(平和の巡礼)という形で、自分自身をすべて神に差し出すというイージを形成していったのでした。


人生のバランスを整えた準備期間

森の中での体験から十五年の準備期間をへて、四十五歳になったミルドレッドに与えられたプレゼントは心の安定でした。
つまり、最高レベルのハピネスを与えられたのです。
最高レベルのハピネスというものが何であるかを知らない私たちは、その後の彼女の人生をたどる必要があれます。
しかし話を先に進める前に、ミルドレッドが十五年間の準備期間中に行った心の掃除の結果、どんなことを発見したかをもう少し調べてみましょう。

彼女が気づいたのは、人生という旅を誠実に歩むためには、いくつかの準備が必要だということでした。
そのために次の四つの準備が大切だということがわかってきました。

@ 人生を正しくとらえる

人生を捜然と過ごしたり、やるべきことをやらずに真実から目をそらしたりせず、正面から向かい合う。
つまり、逃避しないということです。
人生に立ちふさがるさまざまな問題は、その人を次の高みに引き上げるチャンスなのです。
問題が起きたら、どういうふうにその問題をとらえれば有意義であるかと考えることです。
ミルドレッドは、どんなに困難に思えるものに対しても、回避せずに、なるべく積極的に受け入れて解決し、乗り越えるようにしました。
そうすると、少しずつ自分が強くなり、自信が生まれ、ハッピーになっていくと語っています。
しかし、問題の中には、個人的に解決できる範囲を超えているものもあります。
長年平和運動に携わってきたミルドレッドは、こういった問題を「collective problem(集合的問題)」と呼んでいます。
つまり、社会的問題のことです。
例えば、「老人の孤独死」などという記事を時どき見かけますが、こういった悲しい事件をなくすためには、孤独な老人を訪問し世話をするような社食的活動が必要になります。
自殺に追いこまれようとする人を救済する「命の電話」の充実も大事な仕事です。
悪に染まってしまいそうな十代の若者を救済するケア活動、あるいは「いじめ」をなくすための努力、環境保護なども、個人的に解決できる範囲を超えた問題です。
集合的な問題に対しては、一人だけの力ではなく人々が力を合わせて当たらなければなりません。
ミルドレッドは集合的な問題について、個人個人が協力し、助け合う必要性を強調しています。
最終的に一番高いハピネスレベルに到達するためには、こういった集合的な問題にも参加する必要があるとも語っています。
ミルドレッドは十五年にわたって、個人的な問題と集合的な問題を解決するために、人生を正しくとらえるという準備作業をやり続けていたのでした。

A 自分の人生を宇宙の法則に同化させる

物理的にも精神的にも、私たちが従うべき宇宙の法則は厳然と存在しています。
そこから逸脱して安易な人生を送ることをきっぱりとやめて、宇宙とのバランスをとるということが大切です。
神は、この世界に生き物をつくっただけではありません。
全体のバランスをとるための法則もつくりました。
人間の肉体と精神について考えてみても、この法則が厳然と支配しています。
もしバランスを欠いてしまえば、人間は肉体的にも精神的にも大きなダメージを受けます。
それは法則に対する無知から起こります。
幸いにも、私たちはダメージを受けても法則に気づいてそれに従おうとする能力を持っています。
しかし、実際には、簡単なようでそのことがなかなか実行できないのが私たちです。
ミルドレッドは、まず「善は悪に勝る」という法則を語っています。
善が最終的には勝利するのです。
つまり、ピース・ピルグリムが経験したように、人から嫌われても愛(善)のある行動を続けていけばそんな気持ちすら消してしまうのです。
「転ばぬ先の杖」という格言がありますが、バランスを欠く前にこの法則に従えば、肉体と精神の危険を回避できるでしょう。
ミルドレッドは、自分自身の人生にこの法則を応用していった過程を「とても興味深いプロジエクト」だったと語っています。
彼女はこの法則を、人生に今すぐ取り入れることに躊躇(ちゅうちょ)しませんでした。
今すぐにやめるべきだと思う悪習は、常にただちにやめることにしたのです。
彼女にとっては、それは難しいことではありませんでした。
少しずつやめるのは時間もかかってなかなか大変なことではありますが、やるべきことをやらないことのほうが、自分をもっと苦しめることになるからです。
彼女は「信じたことはすぐに実行に移せる」人でした。
そうしなければ、信じたことが全く無意味になると思えたからです。
その結果として、精神的に高い人生に達すると、次にはまた別の高いレベルが与えられるということに気づきました。
それ以来「ミルドレッドは、常に精神的により高く向上するように心を開き続けたのでした。
例えばへこんなエピソードがあります。
ミルドレッドは学生時代にコミュニティー・クラブの役員に選ばれました。
実は他の友人がやりたいと思っていた仕事だったので、友人はミルドレッドをうらみ始めました。
そして、まわりにミルドレッドの悪口を言いふらしました。
ミルドレッドはその友人の不健康な気持ちを切り替えるため、「自分がしてほしいことを他人にもしてあげる」というゴールデンルールを応用することにしました。
つまり、友人のいい面を可能な限りあらゆる面から考えるようにしたのです。
かわりの人たちと話す時には、この友人のことを心からほめるようにしました。
また、機会があるごとに彼女の喜ぶことを何でもしてあげました。
その努力の結果、一年後にこの女性が結婚する時になると、ミルドレッドは結婚式に「ブライド・メイド」という主賓のような立場で招待されたのです。
彼女は、このようにしてまわりの人々が心を切り替えて、心と精神をきれいにするように働き続けました。
人々に助力する働きかけを続けながら、もっと所有したいという欲望を少しずつなくしていったのです。
巡礼の旅に出発すると同時に、食事に関する習慣も、少しずつ健全なものにしていったのです。
さらに、不必要な物を買うことをやめる、価値のないことを行うのをやめる、他人を否定的に見ない、否定的に物事を考えない――というように、自分の心を切り替えるようにしていったのです。
そして、よいと思ったことはその場ですぐに実行するというのが彼女のモットーでした。

B 自分の役割を認識する

ミルドレッドの場合は、十五年の準備期間をかけて、自分が将来なすべき「あるもの」を探し続けました。
その結果、ピース・ピルグリムという役割にたどりついたのです。
この世の中で一人ひとりの役割はすべて異なっています。
人間にさまざまな職業があるのもそのためです。
したがって、あなたが何をすべきかはだれも提示することができません。
自分で探すしかないのです。
ミルドレッドは、自分で自分の生き方を探しきれない人のため、次のようなアドバイスをしています。
「心の声を素直に受け入れられる状態を常につくり、無理をせずにそれを探し続けるのです。
そのうちに、やらずにいられなくなる『よいこと』が見つかってくる瞬間があります。
それがどんなに小さいことであってもいいから、他のことに優先させて実行するのです。」
ミルドレッドは多くの人たちに説きました。
すべての人々の人生パターンには固有の場所があります。
神の計画のもとでは一つとして同じ役割は与えられていないのです。
神の法則と影響は、あなた自身の内側でしか体験できないのです。
もちろん、偉大な宗教指導者たちが言うように、外側の事柄から学ぶことも可能です。
しかし、神の導きは内側でしか感じないのです。
だから、神に対して常に心を開いておく必要があります。
神は宇宙の法則を破るようにという指導は決してしません。
もし、そういう指導を感じたとしたら、それは神からのものではありません。
自分のバランスを宇宙の法則に合わせるかどうかはその人次第です。
宇宙の法則に自分を合わせるということだけが、よい結果をもたらします。
この世に生まれて来たからには、あなたにはあなたの役割というものがあります。
その役割を認識して、実行する必要があるのです。
ミルドレッドは、自分が何をやるべきかわからない人に対して、心の中の声を受け入れられるような状態にして静かに待ちなさいとアドバイスしています。
彼女はかつて美しい自然の中を歩きました。
静かにただ受け身になることで、素晴らしい内面の世界を知りました。
自分自身に与えられた人生パターンを歩むためには、前向きと思われる「よいこと」をすべて行うのです。
最初は、本当に小さなことでもかまいません。
人生をゴタゴタさせているだけの表面的な事柄を二の次にして、「よいこと」を人生の重要事項にするのです。
ミルドレッドは毎朝神を思い、神の子供として今日は何を奉仕することができるかと考えました。
その日の出来事に出あうつど、自分が奉仕できることは何かないかと探し続けました。
楽しい言葉とほほえみを忘れずに、毎日、できる限り「よいこと」をやり続けました。
自分の手に負えない大きな問題に出あった時には祈ることをしました。
ミルドレッドは、正しい祈りは正しい行動を生み出すと語っています。
彼女は時として、人々を助けるために駆けつけていきたい欲求にかられました。
しかし、「他人の問題を解決することは、その人の成長を妨げる結果を招きはしないか」ということに気づきました。
最初、ミルドレッドは、買い物をしてあげたり、庭仕事を手伝ったり、本を読んであげたりなどの簡単なことから始めました。
また、時どき老人の家を訪ねて、病気の回復や体の不調を軽くする手伝いをしました。
あるいは、心理的・精神的に障害を持つ十代の著者の面倒をみる仕事もしました。
自分の行うさまざまな労働が、それらの人々に前向きのよい影響を与えるようにと願いながら奉仕活動をしたのです。
ミルドレッドは自分自身の奉仕活動を精神療法と呼んでいます。相手が求める「よいこと」をすべてしてやり、また相手もそれに倣うようにという奉仕だったからです。
中には、極端に彼女に頼ろうとする人もいました。
そういう場合は、相手が彼女から自立できるように導くための時間をさかなければなりませんでした。
準備期間の間に、彼女は「よいこと」は即実行するという人間に生まれ変わっていたのです。

C 人生の簡素化

ミルドレッドは、自分の生活を奉仕活動に捧げるという決意をすると同時に、物に対するこだわりが消えてしまいました。
世界には、生きるのに必要なものすら手に入らない人がいるのに、必要以上の物を受け取ったり、所有したりすることがいやになってしまったのです。
初めのうちは、必要最小限な物だけに抑えて生活するのは困難でつらいのではないかと思えました。
仏教は、人生を簡素化すること、生活の中に不必要な物をなくすということでハッピーな生活が訪れると説いています。
ミルドレッドも同様に、不必要な物を所有しないことでハピネスが訪れると語っています。
つまり、物をたくさん持っていると、それらのことに神経が行ってしまい、ストレスを生んで心の重荷となるからです。
といっても、人間は住むための場所を持たなければなりません。
また、家庭があれば、子供の学資の問題が生まれたり、音楽好きな家族の一員がプレイヤーを必要としたりということが起こるでしょう。
しかし、音楽は絶対に必要なものというわけではありません。
まして、ブランドネーム付きの衣服、高級車、最新テレビなどは当然買わなくてもすむものです。
もしそのために借金をするとしたら実に愚かなことです。
彼女は容易に生活を簡素にできただけでなくそれが当初考えたほど難しくはないということがわかりました。
準備期間の数年間、ミルドレッドは小さな部屋に住んでいました。
平和運動のために、ワシントンなどの都会に住んでいたのですが、毎月四十ドル以内(現在の約五万円)で生活していました。
そして、最終的には二着の衣服を所有するだけになり、さらにピース・ピルグリムになった時には、衣服は一着だけで、お金も持たないという生活を続けるようになったのでした。


ピース・ピルグリムの旅立ち

1953年、カリフォルニアのパサデナを徒歩で出発したミルドレッドが携えていたのは、平和を訴えるパンフレットと三通の嘆願書だけでした。
朝鮮戦争がちょうど拡大していたころで、またアメリカでは、上院議員のマッカーシーが提案した一連の赤狩り政策、つまり共産主義から自由世界を守ることを口実にした過激な政策が吹き荒れていました。
ミルドレッドは、そういう時期に旅立ちができたことは、平和を語るうえで絶好のタイミングだったとのちに語っています。
道行く人に語りかけ、心の内面を平和にすることの大切さを訴えながら、ワシントンに向かって一歩一歩、平和の歩みを続けていったのです。

携えていた三通の嘆願書の内容は、アメリカがからんでいる朝鮮半島での争いの即時停戦、平和省の創設、国連に対する軍事費の平和建設費への置き換え――というものでした。
彼女は十一カ月かけてワシントンに到着すると、ホワイトハウスと国連に、三通の嘆願書を道中で集めた署名とともに提出し、平和のために即時行動することを強く訴えました。
そして、ミルドレッドはそこにとどまることなく、残りの人生をアメリカを六往復も歩き続けることに費やしたのでした。
各地でミルドレッドが語った話を聞いた人々は、心の平和を獲得するようになりました。
彼女が神の存在に集中しなければならないと呼びかけたことで、人々も変わり始めたのでした。

さらにミルドレッドは、絶えず神の存在を感じ続ける必要があると思いました。
そのために、ミルドレッドは四、五日間、水だけの断食をして、常に神の存在を実感できるようになりました。
彼女はふたたびアメリカ各地を歩き始めたのでした。
もちろん、世界平和についても語り続けたのですが、彼女が強く感じていたのは、すべての人々が内面の平和を獲得しなければならないという必要性についてでした。
つまり、それは神の存在を体験するということにほかなりません。
それによって、各自が自分自身の本当の役割に気づき、たとえ一部の人々だけでも世界平和のために働くことになるかもしれないと考えたのです。

ボケット付きのネービーブルーの上着には、白い文字でピース・ピルグリム(平和の巡礼)の文字を、背中には、Walking coast to coast for paece(平和のためのアメリカ横断行脚)の文字を縫いつけました。
背中の文字は、のちには25,000 miles on foot for peace(平和を求めて四万キロの徒歩行脚)と書きかえていました。
着ているものがぼろぼろになると、友人たちが同じものを彼女のために入手して、同じ文字を縫いつけるということが何度も繰り返されました。
四万キロというと、日本の本州の青森から山口までを十五回往復する以上の距離です。
彼女はこれを達成したのちは、距離の計算はやめてしまいましたが、それでも歩くことは続けました。

仏教の巡礼の場合は、托鉢をして道すがらにお金やお米をもらいます。
しかし、ミルドレッドの場合は、自分のほうから食事を求めるということは一切しませんでした。
相手が自ら食事を提供してくれたり、道ばたに野生の木の実や果物がなっていたりした時だけ、それを喜んでロにしました。
道中、丸一日程度食事をしないことはありましたが、それはごくまれでした。
自分のほうから申し出ることはなかったにもかかわらず、
「食事ができないということは、めったにありませんでした。
人々は思いのほか、善意に満ちているのです。」
と語っています。

ミルドレッドの名前がアメリカ中に知れ渡るにつれて、食事に困ることも少なくなっていきました。
何年か歩き続けた彼女は、行く先々で、食事に困ったことはなかったと何度も話しています。
彼女が時どき自分のほうから求めたのは、彼女を待つ人々に到着を知らせるためのハガキに貼る切手だけでした。
ある時、彼女から切手の提供を求められた女性は、切手をたくさん持っていたので、シートになった何十枚かを差し出しました。
すると、ミルドレッドは言いました。
「いえ、私が欲しいのは三枚だけです。」
「いいのよ。必要な時にまた使えばいいでしょ。荷物にはならないでしょうから、ボケットにしまっておいたらいかがですか?」
「いいえ、三枚だけでいいのです。どうか、三枚だけください。」
彼女は、その時に必要とするもの以外は、決して受け取らなかったのでした。

また、ある時、ミルドレッドの履いている靴がぼろぼろなのを見た男性が、靴をプレゼントしようとしたことがありました。
彼女に物をプレゼントするのは本当に大変なことだとこの男性は語っています。
「いえ、今履いている靴で十分です。新しいものはまだいりません。」
ミルドレッドはそう言って彼の申し出を断りました。
しかし、彼女の靴はあまり上等なものではなく、あと数日も歩けば使いものにならなくなるのは目に見えていました。
砂漠を歩いている時に靴が駄目になるのを心配した彼は、ミルドレッドの靴の寸法を測って、彼女の足にぴったりの丈夫な靴をあつらえました。
そして、ミルドレッドの行く先々で彼女を待ち受け、
「ほら、これがあなたの靴ですよ」
と足下に置き続けました。
ミルドレッドはついに彼の熱心さに折れ、新しい立派な靴を受け取ることを決心したのです。

行った先で人々から名前を聞かれた時には、
「私はピース・ピルグリムです。」
といつも答え、本名を語ることはしませんでした。
そのことは人々を納得させるのに、十分な効果がありました。
家財やお金を持たず、さらには名前すら持とうとせずに、ひたすら平和な心を訴えながら歩くミルドレッド。
その彼女の前では、そんな質問は実に色あせたものに感じられました。

行く先々の地方紙が、彼女の来るのを待ち構えて、
「世界平和を求めて歩き続けるピース・ピルグリム」
「アメリカに平和の必要を説き歩く女性」
「愛と平和の現代の巡礼アメリ力を歩く」
「分別こそが平和を導くと確信する巡礼者」
などの記事を書き続けました。
これらの記事の多くは、内面の平和こそが大切で、それが世界の平和を導くという彼女の談話を掲載しました。

ミルドレッドに話に来てくれるように求める人の数はどんどん増えていきました。
人々は内面の平和とハピネスをつかみたい気持ちでいっぱいだったのです。
時には、彼女のほうから、行く先々の大学の心理学教授に電話をかけ、学生たちに話をさせてくれるように依頼しました。
心を安定させることによって、内面の平和とハピネスを得ようと訴える彼女のスピーチは、心理学と不可分だったからでした。

ミルドレッドは、自分の身には何も求めませんでしたが、新聞、ラジオ、テレビに対しては、平和を訴えるための有効な手段になるとして、樟極的に取材に応じ、また快く出演もしました。
ラジオやテレビで説く彼女の明快な語り口は多くの人たちを魅了しました。
巡礼の旅が重なるにつれ、いろいろな土地に友人ができ、彼女の到着を今か今かと待つ人が多くなっていきました。


旅先での試練と経験

ミルドレッドは旅先でさまざまな困難に出あうと、それを自分に与えられた試練と考え、積極的に対応しています。
難しい問題に出あって解決した経験を、さらにより難しい問題にも応用するようにしていったのです。
彼女は、とても解決できそうにもない問題でも、自分にとってはさほど難しくないと語っています。
どんなに難しいことであっても、神がそぱにいることを確信して、平和と愛とハピネスを感じながら平静に対応したのです。

旅を開始したばかりのころ、カリフォルニアの砂漠を歩いていた時に、一つの試練に出あっています。
すでに真夜中だったのですが、あと何マイル歩いても人里にたどり着けそうになく、道を通る車も全くありませんでした。
寒い夜でもあったので野宿は危険なことから、ただひたすら歩くしかありませんでした。
その時、道ばたに一台のトラックが停車しているのを見つけました。
車の男は彼女を見つけると、
「こっちへ釆なよ。中は暖かいぞ。」
と言いました。
「いいえ、乗りません。」
とミルドレッドが返事をすると、男は
「運転するつもりはないよ。ここに車をとめているんだ。」
と答えました。
ミルドレッドは車の中に入り、男の顔に目を向けました。大柄の見るからに荒くれ者で、どんな人も怖がるような風貌をしている男でした。
しばらく話をしていると、だしぬけに男がこう言いました。
「よし、一緒に寝ようじゃないか」
ミルドレッドは答えよした。
「ええ、そうするわ」
彼女は背中を丸めてすぐに寝入りました。
朝になって目がさめると、その男は当惑した表情で彼女を見つめてこう言いました。
「あんたが丸くなって、本当に安心して寝ているのを見たら、俺はあんたに触ることすらできなくなってしまったんだよ。」

また、こんなこともありました。
ある町を訪れたところ、情緒障害に陥っている十四、五歳の少年がいました。
彼女は、この少年の面倒をみようと考えました。
少年はフットボール選手のような体格で、聞けば、すぐに短気を起こして暴力をふるう性格で、あらゆる人から恐れられているということでした。
少年の母親は殴られて何週間も病院に入院するということもあったそうです。
少年はハイキングに行きたがっていました。
しかし、少年の行状を知っている人たちは、だれも一緒に行こうとしませんでした。
しかし、ミルドレッドはともにハイキングに行くことを承諾しました。
ある山の項に達すると、向こうから入道雲がもくもくと立ちこめてきました。
すぐに嵐がやってきそうです。
少年はこの嵐を恐れて気が動転し、暴力的性向が頭をもたげてきました。
そして、いきなりミルドレッドを殴り始めたのです。
でも、彼女は逃げようとはしませんでした。
少年を愛のこもったまなざしでじっと見つめ続けました。
のちに彼女が語るには、無抵抗の女性を殴るほどの心理的障害に陥っている少年が気の毒になり、少年が心に抱いている憎悪を愛で包み始めたのだということです。
すると、少年は殴ることをやめてこう言いました。
「どうして殴り返さないんだ。
母親はいつも殴り返してきたのに!」

少年はこの出合いをきっかけに、心の奥底に沈んでいた憎悪の原因を発見することができたのです。
心の傷は完全にいやされ、生涯にわたって二度と暴力をふるうことはなくなったのでした。

その後、ミルドレッドは、もっとも難しい試練に出あうことになりました。
ある農場を訪ねた時のことです。
一家はみなで町に行くことになったのですが、八歳の女の子だけが町へ行きたくないというので、両親は居合わせたミルドレッドにその子の面倒を頼んで出かけていきました。
ミルドレッドが窓辺で手紙を書いていると、外で車が止まって男が降りてきました。
少女は男を見ると急いで逃げ出しました。
しかし、男は納屋の中まで追いかけていったのです。
ミルドレッドは急いで納屋に駆けつけました。
少女は恐怖のあまり納屋の隅で体を縮めていました。
男はゆっくりとにじり寄っていきました。
それを見たミルドレッドは男と少女の間に割って入りました。
そして、そこに立って、心を病んでいるこの男を愛とあわれみの感情を持って見つめたのです。
男は近づいてきて、途中で立ち止まりました。
そのままミルドレッドを長いこと見つめ続けました。
やがて、男はきびすを返し、納屋から出ていったのです。
この間、三人とも一言も口を聞きませんでした。

ミルドレッドは、ハピネスを得るにはどうしたらいいかということを、行く先々でわかりやすい言葉で説き続けました。
ある町で出会った独身の女性は、お金を稼ぐために必死で働いていました。
あまりにも生活が大変なので、ミルドレッドにどうしたらいいかと相談を持ちかけました。
話をよく聞いてみると、部屋が五つもある家に一人で住んでいて、ローンの支払いや調度品をそろえるためにお金が必要なのだということです。
「そんなに広い家は必要ないでしょう?
売ってしまったらいいじゃないですか?」
「でも、家には大事な家具もたくさんあるので、売ることはできません。」
「あなたの人生は家のためにあるのですか?」

人間は自分の所有物にこだわります。
そのため、それを捨てることができずに重荷を背負っています。
ミルドレッドは捨てることの大切さを各地で説き続けました。
カバン一つ持たずに素手で歩くミルドレッドの言葉は多くの人の胸を打ちました。


捨てるということ

何かを捨てることでハピネスレベルを上げられるというのは、理屈ではわかるのですが、なかなか実行は難しいものです。
しかし、ミルドレッドがそれを説くと、その可能性が真実味を帯びて理解できるようになってくるのです。
なぜなら、本人の存在それ自体が、物へのこだわりを捨てた模範になっていたからです。
そして、彼女が説いたのは、物を所有したい心そのものを捨てるべきだという精神的なものでした。

@ こだわりを捨てる

私たちは、それがレベルの低い物事であっても、現状を維持させようと努めます。
また、他人の悪口を言ったり、仕事や人間関係で良心の道に外れたことをしたくなったりすることがあります。
ミルドレッドは、そういったマイナスのこだわりを捨てるためには、同じだけのエネルギーをよい方向に投入すればよいと勧めます。
もし他人の悪口を言いたくなったら、それと同じだけのエネルギーを褒めることに費やせばよいというのが、彼女の教えるテクニックでした。

A 孤立感を捨てる

私たちは、つい自分の尺度で物事を測ってしまいがちです。
実際には、この世界も社会も、自然の恵みや人と人との協調というバランスを基に成り立っているのですから、自分の尺度にしがみついていると、その現実を徐々に忘れて疎外感にさいなまれる結果を招きます。
私たちは宇宙全体の中の1つの細胞にすぎません。
自分だけが孤立していると考えることは、たった一つの細胞が宇宙に反抗しているのと同じです。
そのことを理解して全体の中の一つとして生きようと考えた時に、孤立感がなくなってハピネスの世界が訪れます。

B 所有感を捨てる

私たちは二種類の所有感に執着しています。
一つは自分が持っている物です。
もう一つは自分のまわりの人間に対する所有感です。
物というのは、本来、用がすめば必要がなくなるものです。
それを自分の所有物として抱きかかえ、今本当に必要とする人に分けることを拒否していると、物のほうから私たちに襲いかかってきます。
つまり、物に所有されるようになってしまうのです。
物質至上主義の現代では、多くの人がそのことに気づかずに、物に所有される悲劇を招いています。
また、人間関係を所有しようとする感情は、常に悲劇を引き起こします。
夫も、妻も、子供も、自分の所有物ではありません。
もし所有感を持ってしまうと、相手の人生を操作してしまう傾向が生まれます。
人は決してほかの人間を所有することはできません。
人はみなそれぞれ、自分にふさわしい内面の動機に基づいて成長し、社会を機能させていくのです。

C 否定的感情を捨てる

否定的感情がハピネスを妨げることは多くの人が知っています。
その否定的感情にもさまざまありますが、中でもやっかいなのが「心配」です。
「心配」は「配慮」のようにも思えますが、実際にはたいていが不必要な思いわずらいで、ハピネスレベルを下げるだけのマイナス要素にすぎません。
ミルドレッドは「心配」という感情のコントロールの仕方をこう説いています。
「『心配』というのは過去や未来への思いわずらいです。
現在という時点では、この『心配』のないことが普通です。
ですから、とにかく現在を生きるのです。
私の場合、現在というこの瞬間を、奉仕のための新しいチャンスだと考えて生きています。」
さらに、ミルドレッドは、否定的感情のコントロールの仕方を知ることになった、もう一つの発見についても語っています。
それは、自分の外側に存在するものは、それが人間であれ物であれ、こちらの内面の心理を傷つけることはないということです。
自分の内面を傷つけているのは、実は自分自身だったのです。
ミルドレッドはこのことを発見した時、素晴らしい解放感を味わったと語っています。
つまり、他人が自分を傷つけるかどうかという判断のコントロールは、自分自身が百パーセント握っているのです。
もしだれかがあなたの悪口を言ったとしでも、あなたはそれで傷つく必要は全くないのです。
イライラした人がミルドレッドに悪口を言った時、彼女はその人が心理的にも精神世界的にも未熟で、恐らくハッピーではないということを見抜きました。
そして、その人を本当に気の毒に思い、さらに愛情までも感じたのでした。
ちょうどかつて十代の少年が彼女を殴った時のように。
それ以来、ミルドレッドは、自分を傷つけようとするあらゆる人々に対し、心からの思いやりを持つことができるようになったのです。


人生の本当の目的とは何か

私たちのほとんどは、自分の人生の目的が何であるかわからないまま、常に迷い続けています。
ミルドレッドが行く先々で出合った人たちも、多くはそういった悩みをかかえていました。
ミルドレッドの純粋な生き方を見て感動した人は、
「私もあなたに従います。一緒にピース・ピルグリムになります。」
という言葉をよく口にしました。
ミルドレッドがピース・ピルグリムとなるためには、十五年もの準備期間と、アパラチア山脈踏破の体験と、それに宇宙と一体になったというイリュージョン・ピリオドが必要でした。
普通の人々が彼女と同じことをするのはまず不可能で、またそんなことをするようにと言うこともできません。
ですから、こういう人に対しては、静かに微笑みながら、
「あなたは、あなた自身の人生を歩んでください。」
とだけ言い続けたのです。
そして、出合った一人ひとりに、人生の目的の見つけ方を懇切丁寧に教えて歩いたのでした。
四十歳のある建築士は、優秀な能力があるのに仕事がうまくいかず悩んでいました。
そこで、ミルドレッドに出会った時に相談をしました。
「私は別の職業を選ぶべきでしょうか?」
ミルドレッドはこう言って励ましました。
「人々に心から奉仕するということだけに意識を集中すれば、きっとうまくいきますよ。」
三年後、彼女はこの建築士に出合った時、
「あなたの助言のおかげで、私は本当に幸せな人生を送っています。」
と感謝の言葉を述べられました。
彼はミルドレッドの肋言の意味を何度も考え、それを今まで行ってきた仕事に生かす決意をしたのでした。
設計の依頼があった時には、無駄と思われる部分があれば、正直にその部分を削るように勧めました。
また、効果的で安く上がる方法を盛りこみ、客に有利になることだけを念頭に置いて仕事をやり続けました。
常に客の親身になって、正直に安く設計する彼のやり方は評判を呼び、遠方からも仕事の注文がくるようになりました。
その結果、収入はかえって増えるようになったのです。
ミルドレッドが人に説く時に特に心をくだいたのが、この建築士の例のように、心を変化させることの重要さでした。
いくら所有物へのこだわりを捨てろといっても、お金を稼がずに暮らすことは不可能です。
そして、お金を稼ぐ動機が家族を大切にしたいということであれば、そこには何ら不純なものはありません。
つまり、人間が生きていく上には、さまざまな要素が交わっているのです。
そのため、人生の意味を見いだすことも困難になってしまうというわけです。
こういう考えに至った場合は、自分の行動の動機づけを、奉仕という一点に絞るようにと彼女は勧めています。
他人から取ろうとする気持ちから、他人に与えようという気持ちに切り替えるということです。
この建築士の場合、その動機づけがうまく成功した一つの例といえます。
ミルドレッドはこうした旅を二十八年間も続けました。
上着の胸に書かれたピース・ピルグリムの文字と、背中に書かれた二万五千マイル徒歩行脚という文字は、最初の数年間は道ばたで出合う人々とのコミュニケーションのきっかけに役立ちました。
周到な準備によって開始されたためか、巡礼の道中、彼女は病気一つしませんでした。
また、常にハピネスレベルの頂点に居続けることのできた内面の精神、および歩き続けるという理想的な健康法があったからでもあるでしょう。
そういった健康な精神と体に裏付けられた彼女の語った言葉は、常に明快でわかりやすく、しかもマイクなしでも多くの人々に聞こえるという明瞭な声でした。
二万五千マイルを踏破した彼女は、もう距離を計算することをやめていました。
しかし、それでも歩き続けることはやめませんでした。
ミルドレッドの名前が広く知られるようになったため、毎日、六回も七回も講演をするという約束をするようになりました。
したがって、しばしば車を利用するようにならざるを得ませんでした。
それでも、自分自身の静かな時間を少しでも持つように心がけました。
また、毎日わずかな距離でも歩くように努めました。
亡くなる一年か二年前ごろから、ミルドレッドは自分の過去について少しずつ話し始めるようになりました。
それが人々の役に立つと思ったからでした。
みなはその話を聞きながら、彼女は死の準備をしているのだなと感じました。
そして、彼女は自分の使命は終わったので、もういつこの世を去ってもいいとも話しています。
亡くなる前日には、どうすれば内面の平和とハピネスを得ることができるかという、普段と同じ講演をしています。
ただ、その後で聴衆の間に入っていき、一人ひとりに自分の愛を伝え、さらにあたかも最後の挨拶のように、一人ひとりをハグ(抱擁)しています。
「最高のハピネスレベルとはたゆまず祈り続けることです」
ミルドレッドは、アメリカの大地を一歩一歩踏みしめながら、二十八年間休まずに祈り続けたのです。
しかし、その祈りが停止させられる瞬間が訪れました。
それはだれもが避けることのできない死によって――。
ミルドレッドの死はあまりにもあっけないものでした。
1981年、インディアナ州ノックスの講演先から迎えに来た車で次の会場に向かう途中、その車が対向車と正面衝突をしてしまったのです。
七十三歳でした。
彼女の死はアメリカ中に衝撃を与えました。
でも、その死を悲しんだ多くの人々はすぐに気づきました。
「私たちが、彼女のメッセージ通りに正しく生きることが、彼女自身の望みだったんだ。」
ピース・ピルグリムという偉大な巡礼によって、アメリカ人に伝えた平和と愛のメッセージは、その素晴らしさに触れた人々の心に今でも生き続けているのです。
その後、ミルドレッドに出合った人々が連絡を取り合い、彼女のメッセージを出版物にするという奉仕活動が開始されました。
彼女の人生とメッセージが書かれた本はいくつかの言語に訳され、約五十万部が印刷されました。
また、内面の平和を得るステップについて書かれた小冊子は、三十の言語に訳され約百万部が出版されています。
その結果、恐らく数百万の人々が積極的に彼女のメッセージを受け入れています。
多くの人たちが、彼女のメッセージを自己向上のためだけではなくあの建築士のように、自分に与えられた役割のために役立てたに違いありません。
さらに、争いごとの解決策として、この愛と平和のこもった手段を応用している弁護士が数多くいます。
もちろん、弁護士は当事者の一方から雇われるのですが、例えば離婚訴訟を夫が起こしている場合、夫と妻双方の間に静かに座り、平和的かつ誠実に二人に話しかけていきます。
財産を分割するに当たっても、双方にフェアでかつ夫も妻もハッピーになれるような方法を模索し、最後の裁定に向けて誠意を尽くします。
また、刑務所内においても、内面の平和のステップを説くピース・ピルグリムのメッセージが応用されています。
かつて刑務所に収容されていたマイケル・トッド氏は、今では収容者への奉仕活動をしていますが、次のように語っています。
「収容者たちは、ピース・ピルグリムの出版物を紹介されて読み、内面の平和を得るのは可能だと話しています。
以前の自分たちの人生は、自分本位、暴力、報復などの考えに縛られていて、そのために自己破滅に向かっていたのだと理解しています。」
そのトッド氏にテネシーの刑務所にいる囚人から次のような手紙が届きました。
「アメリカの監獄システムの中ででも、収容者たちが人生を平和のために尽くそうとするムーブメントが起きていると知ったら、あなたは興味を引かれるでしょう。
あなたが渡してくれたピース・ピルグリムの出版物は、私たちのような人間にも、心と精神の変化を現実にもたらしてくれるのです。
これらの出版物から収容者が得られる導きはまさに計り知れないものがあります。
私たちのような人間が暴力的なやり方を変えることができれば、世界のためになることは確実です。」
1989年にピース・ピルグリムの本を何ヶ所かの刑務所に差し入れる活動が開始されました。
そして、本の内容を実行した収容者は一人も再逮捕されていません。
この事実がピース・ピルグリムのメッセージの正しさを物語っています。
最近この結果がわかってから、多数の刑務所から本の注文が来るようになりました。
彼女のメッセージのもっとも大事な部分は、自己中心的な生き方、つまり 「受け取る人生」から、他人に尽くす生き方、つまり「与える人生」に徐々に切り替えていくというところだと思います。
これが、高いレベルのハピネスを維持するための最重要かつ最大の秘密だったのです。
もう一度、建築士のエピソードを思い出しましょう。
あなたの仕事や、今やっていることを変える必要はないのです。
変えなければならないのは、心のありようなのです。
これは、夫はもちろん、家庭を守る主婦にも、子育てをする親にも生徒を指導する教師にもいえることです。
愛をこめて、あなたの仕事を行うだけでよいのです。

 

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