ケン・ウィルバー珠玉の言葉

アメリカの現代思想家。インテグラル思想の提唱者。アメリカ合衆国、オクラホマ州生まれ。
20以上にも及ぶ著作は世界中の言語に翻訳され、専門家・一般読者の双方に幅広く読まれている。
代表作は『進化の構造』(Sex, ecology, spirituality / Shambhala, 1995)、 『宗教と科学の統合』(The marriage of sense and soul / Random House, 1998)、『万物の歴史』(A Brief history of Everything / Shambhala, 1996)など。
 著作活動以外では、インテグラル思想の研究組織であるIntegral Instituteの主催、そして、2005年には総合大学であるIntegral Universityを発足、現在同大学のPresidentとして運営の中核を担っている。
トランスパーソナル心理学の代表的論客として、その発展に大きく貢献した。
(1990年代には、トランスパーソナル思想を構成要素として統合するインテグラル思想を提唱して、トランスパーソナルとの「訣別」を表明している)

――――
 

001 新たなゲーム
  今度はあなたは、自分が何であるかを思い出すゲームを始めようとしている。
002 面白いゲーム
  あなたの夢は、あなたがたった一人の神であることに退屈さを感じた時から始まった。
自分自身の驚くべき想像力の産物の中に迷い込み、全てを他者とするふりをする面白いゲームを始めたのはあなたであった。
003 存在することのシンプルな感覚
  自分自身の意識を深く覗き込み、ちっぽけな自我への囚(とら)われを解いて、始源の空(くう)に溶解させれば、「今」、「ここに」、「ただ」、「いる」思いに至る。
シンプル・フィーリング・オブ・ビーイング(存在することのシンプルな感覚)
004 跳躍のため
  跳躍のたびに死に、また新たな跳躍のために復活する。
傷つくことも、横道にそれることも有るが、正しい道に戻ってまたジャンプする。
005 進化システムのメンバー
  私たちは、単一の全てを内包する進化システムのメンバーである。
私たちは活動するスピリットであり、新しい真実の高みへと這ってでは無く、跳躍して進化する。
006 アポケー(判断停止)
  好き嫌いを言わない。
どちらかを選ばない。
全ての事象を否定しない。
あらゆる物の父であり、母であることを否定しない。
007 ハートが照らし出す
  輝く光は、自然よりも、身体よりも、心よりも、思考よりも深いハートから放たれて、全ての宇宙を照らし出す。
「神性」の本当の秘密――太陽も星も自然の全ての光は、まっすぐにあなたのハートから照らし出されている。
「プラトンの洞窟の影」から眼を反らし、まっすぐに眼も眩(くら)む光そのものに向いた時、あなたもこの光を見ることができる。
無量の光に満ちた慈悲の流れが、全ての顕現世界を支えている。

解説:プラトンの洞窟の影
そこには洞窟の中で入口に背を向けて、奥の壁を見たまま縛りつけられている囚人がいます。
そして背後には火が燃えていて、その光が彼らの後ろから照らしています。
洞窟の壁に見えるものは、人形遣いが運ぶ繰り人形の影にすぎないのですが、彼らはそれが真実で自分の世界であると思い込んでいます。
しかし、彼らが束縛から解かれて洞窟の外に出たならば、そこにあるものやそれを照らす太陽を知り、洞窟の中の世界が真実ではないことに気がつきます。
008 自分を知るものは神を知る
  無限の愛である光にひざまずいた時、光は微(かす)かにささやく。

あなたは今、自分自身にひざまづいています。
あなたは自分を思い出したでしょう。
自分を知るものは神を知るのです。
009 透明な光
  心が静止して感覚が世界につながった時、万物は透明な光を放ち始める。
その光は万物の真の姿である。
この慈悲に満ちた尽きることのない光の前では、全ての偶像は退く。
この光の正体は激しい愛であり、光も闇も、善も悪も、快楽も苦痛も、等しく優しくその胸に抱く。
010 神は見ているもの
  あなたは決して神を見ることは出来ない。
何故なら神は見ているものであって、時間や空間に拘束される有限な見られる対象ではないから。
「神」それ自身が探しているものであるのに、何故神を探そうとするのか?
011 意識の直接性
  私は、あらゆることを疑うことが出来る。
意識が向かう対象は、疑うことが出来る。
しかし、疑うことを成している私の意識だけは疑うことが出来ない。
全ての知ること、見ること、存在することの基盤がこの意識の存在である。
全ての現象を目撃しているものの存在は疑えない。
この今の意識の直接性、これこそが神である。
012 二元の対立間
  ハートに愛を?
魂に慈悲を?
何をすべきか?
どう愛すれば良い?

あなた方は、全く的を外している。
迷い、二元の対立間をフラフラし、終わりのない悪夢の中を彷徨(さまよ)っている。
ここにはリアリティは全く無い。

解説:二元論のナンセンス
宇宙の万物は重畳(ちょうじょう)された二極化の関係性において存在させられています。
物質とは、対比の関係性に対して名前を与えることで顕現化したものです。
013 夢遊病者
  原子と神は同じである。
あなたはまだ対立に囚(とら)われているのだろうか?
犠牲者と殺人者、善と悪、罪の有無、愛と憎悪、
我々は何という夢遊病者なのであろう。
二元論のナンセンスを受け入れなければ、世界をリアルに受け止められないのだろうか?
014 ワンテイスト
  そして「目撃者」は突然いなくなる。
「目撃者」は見られる対象すべての中に消える。
主体と客体はワンテイストの中に消えてしまう。
ワンテイスト―「非二元」は、内も外も持たない存在として現れる。
私は雲である。私は雨である。私は大地である。
私は囀(さえず)るこま鳥である。
ここに有るのは、常に現前するワンテイストの痛いほどの明瞭性である。

解説:ワンテイスト
ケン・ウィルバーは好んで「ワンテイスト」という表現を使います。
ワンテイストとは、ワンネスの味わい=至福のことです。
ケン・ウィルバーは、至福という言葉を使えば、その対極である悲しみを浮き上がらせてしまうので敢えて「ワンテイスト」という表現を使います。
015 目撃者
  あなたは、あなたの思考に気付いている。
だからあなたの正体は思考では無い。
あなたは、あなたの感情に気付いている。
だからあなたの正体は感情では無い。
あなたは、あなたが見ている対象に気付いている。
だからあなたの正体はその対象では無い。

あなたの中の「何か」がこれら全てに気付いている。
「何か」が意識を持っている。

全てを観ている「目撃者」。
あなたこそが、この「目撃者」ではないだろうか。
016 空(くう)
  それはどのようにすれば見つけることができるのか?
それは決して見つけることはできない。
何故なら、それは一度たりとも失われたことは無かったから。
この無形の「目撃者」――空(くう)はあなたから一度たりとも離れたことは無かった。
全コスモスで、それはたった一つ、不変なもの。
017 それが空(くう)
  れは対象を持たない「意識」、
主体として「見る」ことはできるが、対象として「見られる」ことのない純粋な「自己」、
無私の「目撃者」、
全ての宇宙を映し出す「鏡の心」、
全コスモスの透明性として輝く「空」(そら)、
あらゆる状態の「状態」、
あらゆる属性を超えた「属性」、
それが空(くう)
018 言葉を超えた空の世界
  畳み込まれていた全てが顕現する世界。
マクロもミクロも、絶対も相対も、一も多も、単一性も複数性も、善も悪も、
言葉を超えた空(くう)の世界――
全ての言葉は、反対の言葉があるから意味を持つのであり、空(くう)は反対を持たないから。
感じることはできる。が、しかし、知ることはできない。
非時間――時間を超えているために永遠であり、全ての時間の母である。
見よ、それは今、あなたよりもあなたの近くにある。
感じることができただろうか?
019 ハートに繋がれば
  ハートに繋(つな)がれば、あなたと私はひとつになり、世界は夢になっていく。
そこは神聖な場所なのだから、真面目さも重々しさも脱ぎ棄てて、軽快さとユーモアにご挨拶(あいさつ)を。
ここは物質としての原子が光になる世界。
020 無限の意識
  コスモスの中では「すべて」が起こり、暫(しばら)く留(とど)まって、やがて去っていく。
目撃者である空(くう)は「すべて」が生起するのをただ許し、見ているだけ。
全ての有限な対象から自分を切り離し、無限の意識として安らいでいる。
それが目撃者。
021 単なる客体
  私は自然の中の対象では無い。
身体の中の感覚では無い。
心の中の思考では無い。
何故なら、私はそれら全てを目撃することが出来るから。

目撃すれば、それは既に単なる客体、単なる感情、単なる思考。
対象に埋没すれば、窒息するような拘束。

目撃者は対象の苦しみ、拷問からは離れている。
全ての対象は、目撃者に来りては去るもの。
022 ワンネス
  肉体へのアイデンティティが消失し、あなたの意識はコスモス全体を抱擁する。
全ての客体と全ての主体が、ワンネスの偉大な抱擁の中で、官能的に結ばれる。
内側と外側はこうしてひとつに結ばれる。
023 ワンテイスト
  やがて「目撃者」それ自体が消えてしまう。
見ていた雲があなたになり、触れていた大地があなたになり、聞こえていた雷鳴があなたになる。
あなたとコスモスはひとつになる。
太平洋を一息で飲み込み、エヴェレストを手の上に載せ、超新星をハートで渦巻かせ、太陽系を頭にかぶる。
それがワンテイスト。
024 アートマン・プロジェクトの進化段階
  1.ウロボロス的段階
 ―物と自己との区別がつかない原初的な意識段階
2.(魔術的)テュポーン的段階
 ―物とシンボルとの区別がつかない原始人の意識段階
3.神話的段階
 ―論理的思考や内省が出来ない幼少期の意識段階
4.心理的自我の段階
 ―理性と内省を基調し、自我が確立された近現代人の意識段階
5.霊的段階
 ―直観と霊的啓示を伴い自我を超越したスピリチュアルな段階
6.微細(サトル)段階
 ―空(くう、アートマン)を直観する精妙な高次の意識段階
7.元因(コーザル)段階
 ―空(くう、アートマン)と自我が融合した全てが無分別になる意識段階
025 アートマン・プロジェクト
  人類の目標―つまり意識進化の最終目標―は、空(くう、アートマン、真我、ブラフマン)に到達することである。
すべての存在は、アートマン(ブラフマン)との合一を目指す。
026 人間の意識
  人間の意識は、「スペクトル」のような連続した階層的な帯域から成る。
027 あなたは誰ですか?という問いに答えるということ
  あなたは誰ですか?という問いに答えるということは、自己と非自己の間に境界線を引くことである。
あなたが引いた境界線の内側の事象(同一化している側)をもって、その回答に充てる。

私は人間である。椅子では無い。
私は会社員である。学生では無い。
私は男である。女では無い。
私は長身である。チビでは無い。
私は涙もろい。冷血漢では無い。
私は仏教徒である。クリスチャンでは無い。
私は福井県民である。青森県民では無い。

至高の自己を経験すれば、この境界線が引けなくなる。
個人のアイデンティティの境界は、全宇宙を包含するまでに広がるからである。
あるいは、境界線を全く失ってしまったと言っても良い。
何故なら、この時、個人は内側も外側も無い、ひとつの「調和した全体」であって、どこにも境界線を引けなくなるのだから。
028 個を超えた目撃者
  私たちは、あらゆる特定の心や感情、物理的な対象から、自己への同一性を削ぎ落とし、そうした対象を超越することによって、個を超えた目撃者を発見することが出来る。
029 エクササイズ:私の正体
  私には見る身体、感じる身体が有る。
疲れたり、興奮したり、病気になったり、元気になったり、重かったり、軽かったり、甘かったり、酸っぱかったり、痛かったり....
私には身体がある。私は身体を通して感覚する。
でも私は身体では無い。
私は身体を通して感覚するもの。

私には起こっては消えていく望みが有る。
でも私は望みでは無い。
私は起こっては消えていく望みを見つめるもの。

私には漂う感情が有る。
でも私は感情では無い。
私は漂う感情に気付くもの。

私には取り留めのない思考がある。
でも私は思考では無い。
私は取り留めのない思考を知るもの。

私は以上のどれでも無く、それらの全てが無くなっても残るもの。
私とは、意識の中心。意識の源泉。静かな明晰性。目撃する意識。
私とは、全ての感覚、望み、感情、思考を見守る不動の目撃者。

(このエクササイズは三回 繰り返してください。)
030 自我を溶解させる
  スピリットは、自我が自身のアイデンティティと見なしている物質から、自我を溶解させながら、身体、心、魂そしてスピリットへと進化、覚醒していく。(覚醒の旅)
自我が溶解されていくこの過程は、スピリット自身の自己発見、自己認識の過程でもある。
その道程には、恐怖と歓喜が伴う。
031 自然は知らない
  快楽も苦痛も自然の中には現れる。
しかしそれは心配や不安の種では無い。
未来の苦痛を恐れもしなければ、過去の苦痛について後悔もしない。
それはとてもシンプルで自然なことだから。
032 人間と自然
  大きな木は、小さな木に優越感は持たない。
小さな木は、大きな木に劣等感は持たない。

愚かな熊は不安神経症にはならない。

年老いた猫は、差し迫る死を迎えて、恐怖の発作に襲われはしない。
静かに森の中へ行き、木の下で丸くなって死ぬだけだ。

去る時を知るコマドリは、柳の枝に静かに止まり、夕日の光が見えなくなると眼を閉じて、大地へ落ちて最期を迎える。

人間は、自然とはいかに異なっていることか。
033 自然は弁解しない
  自然は対立を知らない。

本当のカエルも偽のカエルもいない。
道徳的な木も非道徳な木もいない。
正しい海も間違った海も無い。
倫理的な山も非倫理的な山も無い。
美しい生物も醜い生物もいない。
(いるとするなら、人間であるあなたが判断するだけのこと)

自然はあらゆるバリエーションを生み出すだけで満足している。

自然は弁解しない。

自然は正しい。
間違っているという対立を知らないから。
034 人間の対立の海
  人生には対立が付きまとう。
空間と時間の次元には必ず対立を伴う。
上/下、内/外、高/低、長/短、北/南、大/小、ここ/むこう、頂点/底辺、右/左。

私たちが真剣になり、重要だと考えるのは、対立の一方の極である。
善対悪、生対死、快楽対苦痛、神対悪魔、自由対拘束。

私たちは社会的・文化的・美的な価値も対立で捉える。
美対醜、成功対失敗、利益対損失、強い対弱い、利口対愚か。

最も抽象度の高い概念すらも対立の中に立つ。
真と偽、表象(みかけ)と実在(リアリティ)、存在と非存在。

私たちの世界は巨大な対立の集合である。
035 存在の偉大な連鎖または入れ子(ネスト)
  身体は物質を超越しながら包括している。

心は身体を超越しながら包括している。

魂は心を超越しながら包括している。

スピリットは魂を超越しながら包括している。

物質からスピリットへの包括の構造関係は全てホロン構成である。
036 存在の偉大な連鎖
  眠るとき意識は、粗大(グロス)な身体(覚醒状態)から微細(サトル)な心(夢の状態)を通り、元因(コーザル)的な空(夢の無い状態)へ進化する。

目覚めるとき意識は、元因(コーザル)から微細(サトル)へ、粗大(グロス)な領域へ下降(内化)する。
037 不生不滅(ふしょうふめつ)
  あなたの正体である空(くう)は、生まれたのではない。
ただ、在ったのだ。
生まれたのではないから死ぬことも無い。
それは、決して時間の中に入らない。
これを知るなら、サンサーラ(輪廻)と呼ばれる涙のヴェールから解放される。
038 通り過ぎていくもの
  空間、時間、対象、それらは全て通り過ぎていくもの。
留(とど)まるものでは無い。
これら通り過ぎていくものは、空(くう)であるあなたには、決して、触れることも、誘うことも、傷つけることも、慰(なぐさ)めることも出来ない。
039 主体やら客体やら
  私たちは、小さな主体やら客体やらに自己を同一化させてしまうことが有る。
これが拘束と不自由の始まりである。
小さな主体やら客体やらは、全て見ること、または見せることのできるものであり、それ故、苦しむものである。
しかし、実際は、全て私たちの正体では無いものである。
040 消える主観的な自己
  目撃者は、心と身体の、内にも外にも同一化していない。
自分の心も身体も客観的に眺めることが可能であることを知っているのならば、心も身体も真の主観的な自己では無いことを、ごく自然に認識する。
041 あなたの意識の不動の中心
  走っている間、「目撃者」にとどまれば、あなたは走っていない。
走っているのは地面である。
高速道路を運転している時、あなたは動いていない。
動いているのは風景である。

あなたの意識の不動の中心は、全ての存在と同じであり、その中心は偏在し、かつその周辺はどこにも無い。
それはあなたの魂の重心である。

この広大な空性に安らいでいれば、どんな軌跡も運動も、動揺も混乱も無い。
042 あなたの中に世界がある
  人は、人生に捕らえられている、世界に捕らえられている、と言うがそれは間違いである。
これはエゴとして収縮した把握である。
事実は、世界があなたの中に有るのである。

私の意識は私の身体にはいない。
私の身体は私の意識の中にいる。

私の意識はこの家にはいない。
この家は私の意識の中にいる。

私の意識はこの世界にはいない。
この世界は私の意識の中にいる。

私の意識はこの宇宙にはいない。
この宇宙は私の意識の中にいる。

それは、今、永遠の今、生起している真実なのだ。
043 永遠、無限
  目撃者である私は、時間の中を歩かない。
時間が私を通り過ぎてゆく。
私は、時間と空間と、その不満の声に左右されない。
「永遠」とは、時間の中で永久に生きることでは無く、時間の無い瞬間に生きること。
「無限」とは、やたらに広い空間のことでは無く、完全に空間の無いこと。
044 スピリットとの同一性
  スピリットと至高の同一性(アイデンティティ)を結ぶためには、この定常する意識の流れへ、自分を接続しなければならない。
覚めている時、夢を見ている時、夢を見ていない眠りの時、この三つの態様において。
045 私の中のスピリット
  私の中には、常に覚醒している意識がある。
覚めている時も、夢を見ている時も、夢を見ていない眠りの時も、それは意識している。
この常に現前する意識、恒常する意識、非二元の意識、見つめ続ける光、
これこそが、私の中のスピリット。
神へまっすぐに繋がるパイプライン。
046 山になりなさい
  もし、全宇宙と一緒になりたいのであれば、ケン、山を見てはいけない。
山になりなさい。
私の裸を感じなさい。
そして全世界も同じように感じなさい。
全て起こっているものと官能的に合一するの。
047 出発点としての苦しみ
  統一意識の外で生きるということは、不満、苦しみ、悲しみしか生まない、という気付きに導いてくれる苦しみ。
内と外という境界線を行ったり来たりする人生とは、絶え間ない戦いの人生、恐怖、不安、苦痛、死の人生であることを、我々は苦しみを出発点にして学んでいく。
048 人生の別の意味
  人によっては、意識を持って苦しみに直面せず、苦しみにしがみ付き、殉教者のように自分を縛りつける。
慈悲の始まりとしての苦しみは、人生に別の意味を見い出そうとする探求者にのみ現れる。
049 何か別の意味
  何か別の意味は、人生をより注意深く見ること、より深く感じること、回避してきた世界や避けてきた自分に、本当に接触することで与えられる。
050 人生の苦しみ
  人生に満足していないという意識、人生の苦しみに気が付き始めると、より深い真実のリアリティに気が付き始める。
何故なら、苦しみはリアリティに対する見せ掛けの作り事を壊し、何か別の意味を人生に強要してくるのだから。
苦しみとは、慈悲の始まりである。
051 アートマン・プロジェクト 2
  偉大な探究を終わらせよう。自我への収縮を解きほぐそう。
コスモス全体を、あなたという存在へ流入させるのだ。
この時、あなたは思い出す。
アートマン・プロジェクトなど起こったことは無かったのだ。
052 ゲーム
  記者「何故、一者である神は、肉体化して顕現するのですか?」

ケン「一人で食事をしても、つまらないからです。
永遠の栄光に包まれ、至福の中に浸っている無限である神は、自分で無いふりをするのが楽しいだろうと、思い付いたのです。
それで、世界を顕現させました。オセロゲームを始めたのです。」

記者「私も子供の頃、ひとりでオセロゲームをしたことがあります。」

ケン「うまく行きましたか?」

記者「ダメでした。相手の駒の動きが解ってしまうのですから。
相手の裏をかくことができませんよね。これではゲームになりません。」

ケン「そこがポイントです。つまり、あなたは自分では無い他者を必要とする。
あなたは、どちらか一方のプレーヤーであって、両方のプレーヤーであってはならない。
これがゲームというものです。」

記者「ゲームを楽しむためには、他者が実は自己であることを忘れなければならない。」

ケン「そうです。一者であるあなたは、他者つまり多者を作る。
次にあなたは、自分が多者であることを忘れてしまう。そうしないとゲームにならない。
顕現、肉体化とは、一者が多者になることです。そこで初めて遊ぶことが出来る。」

記者「でも、いつも楽しいとは限りませんが?」

ケン「そうでも有り、そうでも無い。顕現された世界とは、対立の世界です。
快楽も苦痛も有る。上昇もあれば苦痛も有る。善もあれば悪も有る。主体には客体があり、光には影がり、表には裏が有ります。
このコスモスのゲームでは、これらあらゆる「対立」が、あなたを動かすものとなります。」

記者「顕現のゲームは、対立つまり苦しみの世界なのですか?」

ケン「そう見えますね。でも、対立を超える道が有ります。」

記者「といいますと?」

ケン「スピリットは、あらゆる対立を平等に生み出すプレーヤーです。
スピリットは、対立しているものの良い方の側面ではありません。悪い方の側面でもありません。
スピリットは、対立しているものの基盤、グラウンドなのです。」

記者「えっ?」

ケン「私たちが苦しみから自由になる道は、二元論の良い方の半分に属することや見つけることでは有りません。悪い方の半分に顔をそむけることでは有りません。
自由になる道は、二元論の両方を含む源泉を見つけることにあります。
私たちは、人生のゲームの両端にいます。何故なら、あなたも私も、宇宙のゲームをするために対立する両方を作り出したからです。
非二元とは、「ふたつから離れている、対立から自由である」ということです。
非二元が解放であるのは、下降の無い上昇とか、外部の無い内部とか、悪の無い善とか、苦痛の無い快楽とかといった、在ることの不可能なことの追及を、遂にやめるからなのです。」

記者「ケン個人として、ワンテイストをどう考えますか?」

ケン「私がワンテイストを感じている時、ほんのかすかに「この素晴らしい広がりにひとり留(とど)まっていてはいけない。この体験を誰かと分かち合いたい。」という気持ちが付きまといます。
つまり、無限の一者と同じ様に、世界を顕現させたいと思うのです。
私がこの形の無い一者から出て来て、多者の世界を認識すれば、苦しみはまた始まります。何故なら、多者は互いに助け合うと同時に、傷付け合うからです。
それでも、私は、この一者の安らぎを捨てても構わないと思ったのです。たとえ、それが多者の苦しみを意味しても、です。
―――偉大な命題を確認しています。―――
あなたは、多者を自由自在に生み出す一者である。
それは苦しみと快楽を始め、多数の対立を生み出す。
あなたは無限の孤独に留(とど)まることをやめたのだから。
ひとりでは食事をしたく無いばかりに。」
053 意識的な神との合一
  分離した自己感覚を超越し、神的な中へ自己を解きほどく。
神性への合一は、意識の全面へと躍り出る。
自己の至高の同一性が、「スピリット」それ自体であることの認識。
それは、あまりにも当たり前、明々白々な事実であることの悟り。
054 意識的な地獄
  あなたは既に地獄にいる。輪廻に没入している。
顕現された世界に潜む狂気。
満たすことの出来ない渇き、満たされることのない欲望の自傷行為的な炎。

この地獄で人生の全てを費やす人がいる。
粗い気分を麻痺させ、絶望の鋭さを磨滅させるモルヒネを求める人生。
補償行為という麻痺的な満足感の中に折り畳まれる人生。
055 降下の旅、覚醒の旅
  人間はかつて、「無意識的」な天国、「無意識的」な神と合一していた。

いま、人間は、その「無意識的」な合一を喪失して、「意識的」な地獄へ至った。

しかし、やがて、今度は、「意識的」な天国、「意識的」な神と再度の合一を果たすのである。
056 人間存在の進化のスパイラル
  人間存在の進化のスパイラルは、終わりのない流れであり、源泉から大洋へと流れる無数の人々の偉大な大河である。
057 進化
  進化とは、物質から身体へ、そして心、魂、スピリットの自己認識に至る顕現の道である。
それは穏やかに、しかし容赦なく、私たちを、旅を始めた地点へと連れ戻す。
058 内と外という境界線
  何ものかを麻痺させる代償行為、注意の拡散、幻惑といったものを生み出し、そこに我々を留(とど)まらせ、ますます強固になって行く、内と外という境界線。
その存在自体を問うことを放棄させている境界線。
この境界線こそが、苦しみの車輪が止むことなく回り続けるそもそもの原因である。
059 知恵と慈悲の結合
  上昇と降下の道の統合とは、知恵と慈悲の結合である。
私たちが一者に抱く愛は、多者に対しても同じ様に差し延べられる。
何故なら、一者と多者は究極的に同じものであるから。
かくして、愛は知覚のあらゆる瞬間において、知恵と慈悲とを結び付ける。
060 慈悲
  慈悲は一者が多者であることを知る。
一者は、全てのそれぞれの存在に平等に現われていることを知る。
万物は、全くあるがままでスピリットの完全な顕現であり、一者とは多者に他ならない慈悲であることを知る。
慈悲は、ブラフマンは現象された世界であることを知る。
061 知恵
  知恵は多者を通して一者を知る。
変転する外見と移ろいゆく形態を通して、万物の基底(グラウンド)を見る。
影を通して、時間と形の無い光を見る。
知恵は、多者は一者であることを知る。
この世界は幻影であり、ブラフマンのみがリアルであることを知る。
062 知恵と慈悲
  一者へ帰還し、一者を抱擁するものは善である。
それは「知恵」と呼ばれる。

多者へ帰還し、多者を抱擁するものは善性である。
それは「慈悲」と呼ばれる。
063 空即是色
  一者から多者への降下の道。
慈悲の道。
一者、神、ワンネスが多者として顕現している善性、慈悲であることを見抜き、多者を抱擁する愛。
手を下へ差し延べる愛。
064 色即是空
  多者から一者への上昇、帰還の道。
知恵の道。
様々な形態や現象の背景に潜(ひそ)む一者、神、ワンネスを見抜く知恵。
手を上に延ばしていく愛。
065 オメガ・ポイント
  集団的な人間性がいずれ向って行く絶対のオメガ・ポイント(最終ゴール)は有るのだろうか?
私たちは究極の歴史の終わり、全てのオメガのオメガに向かっているのであろうか?
いったいそれは存在するのか?

確かにそれは存在する。
しかし私たちは、それに向かって行ってもいないし、離れて行ってもいないし、周りを回ってもいない。
それは、始めが有って終わりが有る時間の流れの中には入らない。
それは、全ての時間を支え、全ての場所を支えるものであり、いかなる部分性も持たない。

形ある世界においては、究極のオメガは常に彼方へとしりぞいて行く、決して到達することの出来ない地平線としてしか現れない。
進化は究極のオメガ・ポイントを求める。
そしてそれは決して見つけることは出来ない。
何故なら進化は、常に形あるものの世界で展開するからだ
066 スピリット 2
  「大地」も「宇宙」も「世界」も溶解させ、「スピリット」が「空」(くう)の中に輝いていることを見ようではないか。
スピリットは、時間のあるこの被造世界においては不生不滅であり、明滅したことすら無いのである。
067 スピリット
  スピリットは大地の内部にあって、それを超越しているということ、
大地に先行しながら、大地に対して他者では無いということ、
スピリットが全ての源泉であり、基礎であり、ゴールなのだと言うこと、
意識の進化においてスピリットは心霊段階で直観され、微細(サトル)段階で前面に出たこと、
完全に先行する段階を包括し、かつ完全にその上に輝いている
と宣言することは可能である。
068 自然
  私たちが自然と同一化し、そこに私たちの無常の嘆きを慰める地上中心的な大地宗教を見出すことは、もちろん自由である。
有限な、限界と寿命のある大地と自己を同一化することも、全く自由である。
ただ、自然は無限であり、限界が無く、不死であり、永遠である
と宣言することは出来ない。
069 未来の合一
  私たちは、まだ終わっていない進化の息子たちであり、娘たちである。
私たちは常に昨日の断片と、未来の合一の間にとらえられている。
その合一は、想像も出来ない様な地点にまで、私たちを運んでいくだろう。
そうした合一は、全ての誕生と同じ様に非常に苦痛に満ちたものであるが、同時に、耐えられないほどの歓喜に満ちたものでもあるだろう。
070 最終的な解放
  (非二元論的な)聖者が明かす秘密―最終的な解放が常に、既に達成されている。

解放の最後のステップとは、時間の円環(サイクル)から降りて、最初からそこに有った非時間を見つけ出すこと。
非時間は、そもそも最初から、全ての過程に現前していたのである。
071 未来
  いつもそうであるが、私たちは、私たちに「あたえられている未来」を、自分で創(つく)って行かなければならない。
遍満する世界霊の降臨を促進させるのか、後退させるのか、
私たちが自分の直覚をどう現実化させていくかに掛っている。
072 世界霊の降臨
  来るべき神。
全てに遍在する世界霊の降臨。
超人、大霊、超個の夜明け。
普遍人の到来。

まれな、個別の、分離した現象としてでは無く、
呪術、神話、心的な段階が、世界中で大規模な組織的な文化となって現れた様に、
「社会の組織力の重心」となって到来する。

全てを大霊の直覚で抱擁し、
全ての生けるもの、全ての魂のコミュニティと結びつき、
その貴重性を保護する構造の中に制度化される。
(現在の、法、教育、政府、コミュニティの中に、世界中心的な合理性が保護されている様に)
(かつての日本の神社システムの様に)

物質圏、生物圏、心圏が、個々すべての個人の中で複合され、統合される。
理論としてでは無く「意識の中心的なアイデンティティ」として。

個々すべてをその善性と栄光で触れていき、その光輝と祝福で洗礼していく。
瞬(まばた)きしただけで、私たち全てが変えられてしまう。

「大霊」、「世界霊」への直覚は、世界中の個人において、その強度、頻度を増している。
こうしたことは、確かに起こっている。
073 世界は為すべきことを為す
  世界は為すべきことを為す。
ちょうど、心的な段階へ集団的に移行するのに、
農業、次に工業を学習して物質的な段階を通過しなければならなったように、
情報、コンピュータ、テクノロジーなどを学習して心的な段階を通過し、
それを超越するスピリチュアルな段階に移行するだろう。
074 物理学
  物理学は、影の世界に映し出されたシンボルを扱う学問であることを、物理学者は認識するに至った。
新旧の物理学の間には大きな差異が有る。どちらも影を扱っている。
しかし古い物理学は影を扱っていることに、気付いていなかった。
洞窟の中に居て、そのことを知らなければ、誰もそこから脱出しようとは考えない。

新しい物理学者たちは、一丸となって洞窟を超えた光の世界を見ようとしている。
「物理学は影の世界を扱う。」を合言葉に。

 

ドン・ガバチョのトップへ

inserted by FC2 system