ラムサ珠玉の言葉 2

ラムサは、ラムサは、3万5千年前に生きた征服者であり、アセンデッドマスター。

人間の存在と生の意味に関して深い洞察を得て、遂に覚醒し、時間と空間の制約および肉体の制限を克服。
自身の肉体の振動数を上昇させ、高次元へと移行するアセンションを達成した。

彼は、200万人の人々の前で風となってアセンドしたが、その際、再びここに戻ってくることを約束した。

――――
 

201 与えるということ
  あなたが心を開き、ただ与えれば、それは意識を与えることである。
生命を与えることである。
するとあなたは、自分自身を愛し、自由を与える。
自分が成功者なのか失敗者なのかと裁くことが無くなる。
罪悪感を感じなくなる。
罪という考えから離れれば未来を持てる。
敵を許せば、彼らはあなたを許す。
それらは全て、自分自身を愛するということだ。
 
202 愛とは何か
  あなた方はこれまで、神は愛であると聞き続けてきた。
しかし、あなた方はこの意味を全く理解していない。
愛とは何なのか?
愛とは与えること、許すこと、これだけである。
愛は奪うことも、裁くことも、憎むことも、罵倒することも、疑うことも、恐れることも無い。
 
203 前進するだけ
  あなたはもう既に充分、自分自身にできる最悪のことをやってきた。
あなたがやってきた以上に酷(ひど)いことは無い。
あなたは今、そうなのだ。
だからこれ以上は後戻りすることは無い。
あなたは前進するだけなのだ。
 
204 喜びの朝
  明日の朝、微笑みとともに起きなさい。
明日は新しい日なのだから、心を開いて喜びで迎えなさい。
それは旅の一部なのだ。
それがその旅の始まり方なのだ。
 
205 脳の中に入れて眠りなさい
  あなたは夢の部屋で、あなたが子供の頃に道の途中で失ってしまったもの、今のあなたが受容できるものを思い描きなさい。
あなたの内なる神のために神聖な本を読みなさい。
それを脳の中に入れてから眠りなさい。
 
206 与える人
  あなたが奪う人であり続けるならば、あなたは神を体現できない。
あなたが与える人になれば、あなたの意識は限り無いが故に、あなたは神を体現している。
 
207 与える人 2
  あなたは今日、家に帰り、食事をし、くだらないことをたくさんし終わったなら、眠りに就く前に、テレビを見ることなく、心を静かに落ち着けて、与える人になれることを思い描きなさい。
 
208 奪う人
  あなたは、あなたの親があなたを養うべきだと思っているのか?
あなたは、あなたの友人があなたに借りがあると思っているのか?
あなたは、恋人があなたのために何かをすべきだと思っているのか?
もしそうであるなら、あなたは奪う人である。
あなたに対して義務を負わなければならない人などいない。
あなたは与える人ではなく、奪う人である。
奪う人は愚かな犠牲者である。
自分を犠牲者と考えているから奪うのである。
 
209 自分を愛しなさい
  もしあなたが今のあなた自身と偶然に道で出会い、その人物があなたに交際を求めてきたなら、あなたはどうするだろうか?
きっとあなたは自分自身から、悲鳴を上げて逃げ出すことだろう。
あなたはそれほどまでに自分を愛せないでいる。
 
210 困難の向こうの歓喜
  あなたが私の哲学をあなたの真実にした日、あなたは笑い始める。
あなたは笑いの中にしかいられないだろう。
あなたは人間の困難の向こう側に歓喜を見い出すからだ。
 
211 喜びに目を向けよ
  内なる神を顕(あらわ)にするということは、喜びにあふれることである。
人為的な作られた喜びでは無い。
人生の重みを知りながらも、安らぎに目を向けて、その喜びの光になることである。
あなたの人生に困難があることは、私にも解る。
しかし、それでも同時に喜びもまたあるのである。
あなたは、その喜びに向かって微笑みなさい。
 
212 ラムサの祝詞(のりと) 2
  おお、私の愛する神よ、
私を創造し、私に生命を与えし神よ。
私の中に、知るという情熱を目覚めさせ給え。
私に力を戻し、覚醒への旅を現実化させ給え。
so be it.(そうなるように)
生命に。
 
213 私は私だ
  さて、私はあなた方に教える際にとても大きな声で話している。
大きすぎるなどと評価する人がいる。
だが、私は別に怒っている訳ではない。
これが私の声だ。これが私だ。私は私だ。
 
214 私が与える知識
  私の教えは「あなたの人生を変えるために必要なものはあなたは既に持っている」と言う。
一人の神として生き、未知なるものを知るという責任を果たすために、自分自身の意思を持ちなさい。
私が与える知識を使えば、この責任を果たすことができないなどとという恐怖から開放され、未来は予測不能なものから予測可能なものになる。
 
215 操作された知識
  現代の新しい知識は、人々を哀れで貧弱にさせる。
それは意図的にそうされている。
人々が全てに気づき、全てを知ってしまったら、どの政府も存続できなくなるからだ。
人々が現実を創造する力に気付けば、商業主義は存続できない。
みなの文化には、人間の神性を軽視し、思考の力を奪う陰謀的な意図が存在している。
人々を画一化し、同じ価値観を持たせ、同じ行動をさせ、同じ製品を買わせ、同じ姿にするのは支配するためなのだ。
画一化すれば支配できるからなのだ。
 
216 私の教え
  あなたは残りの人生を如何に過ごすつもりだろうか?
何をするつもりなのだろうか?
隷属して働き続けるのか?
酔っ払ったままでいるのか?
他の人に頼ったまま生きるのか?
自分自身を哀れみ続けるのか?
他の人々を不快にさせ続けるのか?
子供に生まれたことを後悔させるのか?
これらは全て無知のまま生きるということだ。
あなたがこれまで歩んできたレールの上を歩み続けるということだ。
私の教えはあなたのこれらの生に終止符を打つ。
 
217 私のランナー
  私が送ったランナーを祝福ほしい。
あなたに衝撃を与える者は私のランナーである。
私のランナーを祝福し、抱擁して欲しい。
決して馬鹿にしたり、無視しないで欲しい。
私の送ったランナーに「あなたの言っていることは本当だ。教えてくれてありがとう。」と言いなさい。
 
218 現実の再形成
  あなたがしがみ付いている過去を解き放てば、あなたを取り巻く現実は壊れ出す。
あなたの現実が崩れ出すのだ。
そして、あなたの新しい意識のフォーカスで現実が再形成されていく。
では、ランナーを送ろう。
私の教えを聞いてくれたあなたに、愛を込めてランナーを送ろう。
 
219 意識のフォーカス
  もし、あなたが自分自身を全くの完全な受容できる状態に置くならば、あなたが置いた意識のフォーカスは、全てが瞬時に現実のものとなる。
 
220 ゼロポイントに整合する時間
  あなたの肉体は、物質の天界というたいへん遅い時間率の宇宙にいる。
しかし、あなたの意識とエネルギーがゼロポイントから最初に創造された天界にいるのならば、瞬時に現実化が行われる。
それは、ゼロポイントに整合する時間がそれだけしか掛からないということである。
 
221 疑心暗鬼を取り除くなら
  あなたがあなたの真実を得るまでにたくさんの時間が掛かってしまうのは、あなたが疑心暗鬼であるからだ。
あなたが、その疑いを取り除くことが出来れば、瞬時にあなたの望む体験の世界が現出するであろう。
 
222 あなたは宣言するだろう
  あなたが私の哲学をあなたの真実にすることができた時、あなたは宣言するだろう。
「見よ。これがわたしが自ら勝ち得た真実である。ついに私は私の真実に到達した。
この真実は私自身が自ら獲得したものである。」
 
223 あなたは完全に自由である
  あなたのすべきことは、自分自身を信ずることだ。
そして、私の語ることを使うか使わないかはあなたの自由だ。
あなたにとって正しいと思えることを選びなさい。
あなたは、完全に自由なのだから。
 
224 あなたの真実
  私があなたに語っていることは、私の真実であってあなたにとっては哲学でしかない。
あなたが、私の哲学にフォーカスを置きさえすれば、それはあなたの真実になる。
逆に、あなたが別のものにフォーカスを置くならば、私の哲学は真実になることは無い。
だから、私は真実を語っている訳ではないのだ。
 
225 六つの天界で体験した記憶
  あなたがこの畳み込まれた意識にフォーカスして受容するなら、フォーカスされたその意識は渦を解かれて、あなたの脳に受信される。
その時、あなたは光の体を持って体験した記憶を思い出すのだ。
それは、時に夢として体験されるものである。
 
226 畳み込まれた天界
  あなたが現象化することを選択した、この七つめの物質の天界、つまり表現する天界の中に、あなたは他の六つの天界の写しを畳み込んで持っている。
この畳み込まれた六つの天界に隠されているあなたの意識は、あなたに開かれるのを待ち続けている。
この畳み込まれた天界の影はオーラと呼ばれる。
 
227 恐れる人生
  あなたは人生を恐れるあまり、決して人生を生きることが無い。
 
228 量子力学が明らかにしたこと
  量子力学が明らかにしたことは、あなたが何を考えようとも、素粒子はそのとおりにそこにあるということだ。
それは常にそうなる。
素粒子の挙動は絶対的に観察者にかかっているのだ。
 
229 何にエネルギーをフォーカスするか 2
  あなたが世俗的な現実を無視し、見えるものでは無く、期待していることにフォーカスし続けると、それが現実になる。
 
230 何にエネルギーをフォーカスするか
  あなたのエネルギーはどこにあるのだろう?
あなたのエネルギーは、世俗的なことを受容することに使われている。
自分の不健康を受容し、自分の問題を受容し、自分の制限を受容する。
あなたがそれを受容したために、あなたはそれを凝固させ、そのエネルギーをあなたとの関係性の中に固定したのだ。
 
231 赤外線の体
  あなたがその肉体から去る時、七つ目の最も遅い時間率の体を脱ぎ捨てる。
すると、あなたの体は光の一種である赤外線になる。
その赤外線の光の体には、残った六つの時間率の体が畳み込まれ、凝集されている。
 
232 凝集された時間率の体
  ひとつの原子の放射場は七つのレベルの時間率で構成されて
いる。
あなたの体もまた、七つのレベルの時間率で構成されている。
あなたが見ている肉体は、この七つの場の中の最も遅い時間率の体である。
その肉体には七つ全ての時間率の体が畳み込まれ、凝集されている。
 
233 赤外線領域
  あなたがその肉体から去ると入って行くのは赤外線領域である。
それはサイキックな領域である。
しかし、あなた方の多くは、下から三つ目の天界までの意識しか解くことが出来ない。
上の四つの天界の意識は畳み込まれたままである。
それは依然として、隠されたままである。
 
234 ライトレビュー
  あなたがその肉体から去ると、意識は光の体に入りレビュー(回顧)を行う。
畳み込まれていた生命という意識のエネルギーが解かれ、生きたスクリーンの上に映し出される。
何をしたのか?
誰であったのか?
何を達成したのか?
どう進化したのか?
約束の何を進化させなかったのか?
それはライトレビュー(光の回顧)と呼ばれる。
 
235 観察者へ送り返す
  現実に影響を与えるためには、あなたは絵のイメージを、神つまり観察者に送り返さなければならない。
そうすれば、全ての時間が閉ざされ、あなたは消える。そして全てがあなたになる。
観察者とはあなたの内なる神のことである。
 
236 ゼロポイントとの整合
  ゼロポイントと整合する瞬間、「永遠の今」を体現すること、これらは、完全に知ること、完全にフォーカスすること、自分が人間であることに完全に無意識でいることであり、本当に稀なことである。
それが起こるのは、観察者と実行者が同時に働いた時だけだ。
 
237 エネルギーの放射
  あなたが「永遠の今」に向き合った瞬間、あなたという神の反射意識から神の意識に向けてダイナミックなエネルギーが放射される。
それがクンダリーニである。
人間の意識が眠りから揺り起こされることが滅多に無いのは、ほとんどの人間が無意味な意識の振り子運動をしているからだ。
 
238 永遠の今
  ネガティブ/ポジティブ、ノー/イエス、低い/高い、闇/光、あなたの意識が二元の世界を振れるとき、ちょうど真ん中で始源のゼロポイントと整合する瞬間がある。
この瞬間を「永遠の今」と言う。
それは磁石の中心である。
 
239 大脳の聡明さ
  大脳皮質が発達してよく機能する人はいるが、彼らもエネルギーボルテックス(エネルギーの渦)は低次のシールに留まったままである。
大脳の聡明さとは、大抵の場合、確立されたものに同意することである。
それは創造には、あまり関係の無い能力である。
 
240 腹ぺこの子供
  腹ぺこの子供のようになって食事をしてほしい。
態度がすべてだ。
あなたが飲み込む一口ごとに、幸せでありなさい。
 
241 クンダリニーのエネルギー
  あなたの脳の後ろの扉から、クンダリニーのエネルギーがやって来て、あなたが描いたホログラムに完全な実現性を与えてくれる。
エネルギーが無ければ、あなたのホログラムはどこにも行けない。
あなたがそれを許せば、そのイメージに最大のエネルギーを与えることが出来る。
あなたがそれを分析すれば、それを弱めてしまう。
 
242 アポケー(判断停止)
  もしあなたが自分の描いたホログラムに価値判断をしたらどうなるだろうか?
そのホログラムを分析したら何が起こるのだろうか?
あなたはそれを得ることが出来ない。
それは、分析され、審判され、重みを掛けられるのならば現実化することは無い。
検討され、議論されるのならば、それは自由では無い。
存在にはなれないのだ。
 
243 霊的な自己
  この旅を果たすためには、霊的な自己を、人間の自己の中に定義していかなければならない。
霊的な自己が、完全な人生、力溢れる人生を導くことになる。
 
244 誤解の霧
  後悔、非難とは自己に力を与えないことである。
その時、自己に起こっていることは誤解の霧と呼ばれる。
その霧の下に自己が隠されることなのだ。
非難や犠牲者意識というような人間的な性質の側面は、自己から力の場を奪う。
 
245 他の人々の所有物
  人に従って私の教えを聞きにきた者は、この人生での特定の目的地を持っていない。
彼らの目的地は他の人々にある。
そして、彼らの目的地は他の人々の所有物のような存在になることである。
彼らは、他の誰かの選択に従って生きる者である。
 
246 霊的な進化
  あなたはこの人生で、自分を霊的に進化させることを選択した。
霊的な自己の開発を、人生に選択した。
人生の意味、人生という旅の目的、目指すべき運命、特に人生の真の運命は、達成することでは無く、成っていくことに有ることを理解するならば、それはあなたに力を与える。
これこそがこの人生で大切なことなのだ。
 
247 教えを受ける準備
  あなたが私の教えを受けにやってきたのは、私がそれを夢見たからである。
私はそれを現実のものとした。
しかし、一方であなたもまた、教えを受ける準備をしてきたのである。
 
248 自分の霊的な責任
  自分の人生に責任を持つことは容易なことでは無い。
人は恐怖の状態にあると、逃げ出し、他の人を指差す。
それは卑怯者がすることである。
しかし、それがどれほど苦しいことであろうとも、勇気を持って自分の霊的な責任を果たさなければならない。
 
249 流行りに従う安易な人生
  栄光であれ屈辱であれ、あなたが過去に執着するということ、また、あなたが属する社会が脅迫してくる社会意識に従うこと、両親やら上司に褒められたいという奴隷根性、これらに従うことは霊的に生きることとは何の関係も無い。
それは流行(はや)りに従う安易な人生に過ぎない。
霊的に生きる者にとっては許されないことである。
 
250 自己(神)を定義する
  あなたが霊的な旅を選択したということは、神を定義することを選択したということだ。
何故なら、それがあなたの目指す旅の目的地に他ならないのだから。
目的地を定義しない旅であるなら、あなたはどこへも辿(たど)り着くことは出来ない。
では、神を定義するとはどういうことだろうか?
それは、霊的な自己を定義するということである。
その時、あなたは想像を超えたことをする力を得ることが出来る。
その時まで、それは出来るはずが無い。決して無い。
 
251 非難、犠牲者化、執着
  あなたが非難や犠牲者化や過去への執着によって自己を滅ぼせば、あなたの本来の目的である霊的な旅の重要な側面を失ってしまう。
あなたが惨(みじ)めで不快な失敗を責める過去の出来事に引き寄せられると、あなたは内なる神を忘れてしまう。
それは、霊的な自己が定義されていない状態であり、あなたが為すべき現実化の力が、ことごとく削(そ)がれてしまうということだ。
それでは想像を超えたものを想像することすら出来ない。
 
252 祝福の人生
  あなたはこの霊的な旅のために、この人生を選択したのである。
あなたにとってこの人生は、祝福以外のなにものでもないのだ。
 
253 悲しい社会
  あなたが生きるこの天界は、困難が多いことは認めよう。
社会意識が人々を縛り、非難や卑劣さを持って生きる道が存在している。
しかし、それは共食いをする犬であり、弱いものを餌食にするハイエナだ。
失敗という側面から人を蹴落とすことで得られる成功、失敗が無いことで評価される成功だ。
これらは悲しむべき過去、力が奪い取られた過去という力学となり、人間の犠牲者化、非難、中傷を人々にもたらす社会をますます存続させる。
しばしばそれは幼い頃から始まる。
 
254 真の自己表現
  あなたに起こった人生の素晴らしい出来事、麗(うるわ)しいことは全て、自己を定義した瞬間にだけ起こったはずだ。
その時あなたは、力を他に預けるのでは無く自己の内で強めたのだ。
そして、その力がさらに強くなれば、あなたの現実は恐るべきものになる。
それは真の自己表現なのだ。
 
255 奇跡と言える境地
  慢性的な犠牲者にとっては、これらはずっと神話、夢、伝説であり続ける。
しかし一旦、それを乗り越えれば、奇跡と言える境地にたどり着く。
それに立ち向かえない者、臆病者は、逃げ出してしまい、覚醒者としての能力を取り戻すことは決してできない。
 
256 始源の神性
  あなたが霊的な成長を約束した至福の天界で、あなたはその約束が容易な道ではないことを承知していた。
あなたは、ほとんどの存在たちが約束を果たすこと無く、尻尾(しっぽ)をまいて戻ってくるところを見てきた。
この物質の天界では、一時的な肉体の玉座の内側に、始源の神性を輝かさなければ、自己を定義することはできないからだ。
 
257 真の戦士
  真の戦士は、始源の空(くう)へ帰還することが自己の探求であり、また自分が発したものが多様な形で自身に戻ってくることを十分に理解している者のことだ。
そして、最後に自由を得ることが出来る者とは、それを実行した人なのである。
 
258 責任を取る人
  あなたの前に、自分の人生の責任を無理に取らせる誰かが現れることは無い。
だから、あなたは責任を逃れるために、自分の都合のいいことを言うことは出来る。
だが真の戦士とは、自分で責任を取る人のことである。
 
259 仮の存在状態の場所
  本来、犠牲者や暴君や自己憐憫といったものは、神へと成長するための一時的な聖なる食べ物(マナ)である。
あなたの天界は神にフォーカスする為の天界であって、それはとても重要なことだ。
ところが、霊的に成熟をしていない人々は、犠牲者や暴君や自己憐憫に執着をして、これらを自己に同一化してしまい、男や女の動物的な部分の餌(えさ)としてしまっている。
これら霊的な成熟をしていない人々は、死後、仮の存在状態の場所へ行く。
そして、彼らは神にフォーカスするのでは無く、仮の存在状態の場所にフォーカスしている。
しかし、その仮の場所は彼らにとっての休息と回復の天界であるのだ。
 
260 マスターの思索
  マスターには犠牲者や苦悩者はいない。
だからあなたは、マスターに同情を求めてても無駄である。
マスターは、あらゆる人生の行為が自由意思による個人的な選択の結果であることを知っているからだ。
マスターは自己を神として思索し、瞑想するのであって、犠牲者や苦悩者と考えることなど有り得ない。
 
261 障害物の正体
  あなたが出会う障害物の正体は、だから、あなたが造り出した思念のエネルギーなのだ。
自分が障害物になって行く――我々はこの気付きを通して、障害物を取り去り、神の愛を自己に与えなければならない。
神とは与えることである。愛である。喜びである。
覚えているだろうか?
 
262 思念という生き物
  思念とはエネルギーの場であり、それ自体がひとつの生き物である。
ひとたびその生き物を創造すると、我々はそれを取り消すことは出来ない。
それは創造されたのであり、そのフレームは既に造られたのである。
そして、我々は自身が生み出したこのエネルギーの内部に浸っているのだ。
 
263 審判の日
  あなたはその日、あなたの精神が行なった行動と思考の全てを回顧する。
それは、全てであって、人に隠れて行なったことも含まれる。
そしてライトレビューと呼ばれるこの審判は、あなた自身が、あなたが誰かに放った冷酷さ、傷つけたこと、誤った戒め、復讐、非難、怒り、そうしたこと全てになることで行なわれる。
その時、あなた自身がその全てになるのだ。
ライトレビューにおいては、あなたは分離していない。
一体なのだ。
我々みんなが生命の糸で結ばれていることを理解する瞬間である。
 
264 至福の天界
  あなたにこれだけは言っておく。
至福の天界には、あなたに対して、正しいとか間違っているなどという者はいない。
この天界には何の善悪も無い。
ただ、あなたの意識があるだけなのだ。
 
265 地獄
  思索の中に入って行かず、教えを求めることの無い存在たちは、地獄と呼ばれる領域に入って行く。
全てが罰せられたり罰せられる可能性のある状況、この中で生きることを望む存在たちである。
しかし、この地獄と呼ばれる領域もまた、至福の天界に有るのだ。
 
266 思索のマスター
  至福の天界で、あなたがマスターを求めることが許されていることに気付き、実際にマスターを求めれば、あなたの眼前にはあなたが思い描いたマスターと思索のための場(フィールド)が現出する。
そして、あなたの思索のレベルに合致したことを教えてくれる。
あなたはマスターの教えを完璧に理解するのである。
 
267 思索
  自己の全ての所業が自己を造っているという真実に立ち入った者は、至福の天界で深い思索の中に入っていく。
或る者は高い山上で、或る者は巨大で気高い木々の陰で、或る者は雑木林に囲まれた美しい湖のほとりで、また或る者は巨大な図書館で、周囲に何かが有るのが耐えられない者は虚空に浮きながら。
深い思索とは、内面に向かう技術であり、常に真実に対する気付きの後に起こるものである。
 
268 自分の筋書きを完了させる
  これから地上界に起ころうとしている壮大なドラマを知っている状態が存在し、それはこの天界の領域にも浸透している。
そしてあなたは、そのドラマのひとつの役を演じるため、自分の筋書きを完了させるために、ここにやって来た。
そうでなければ、ここに居るはずがないではないか。
 
269 執着からの解放
  この憩いの場所では、あなたは家族を残してきたことに何の悲しみも感じない。
あなたはあらゆる執着から解放されているために、そのような感情をもつことは無いのだ。
 
270 憩いの場所
  至福の天界は、想像を超えたものが想像される場所である。
そこにいる存在たちは、これ以上はないほど、遅い時間や遅い物質という厄介なものから完全に開放された状態にある。
そこでは、あなたは自分が望むどんな姿にでもなることが出来る。
だから、美しいなどということは全く重要では無い世界なのだ。
それは、次の戦いのための憩いの場所なのだ。
この天界を天国と呼ぶ存在もいるが、私はもっと偉大な天界を天国と呼んでいる。
 
271 肉体を持つタイミング
  進化が停滞している存在たちがいる。
未完了の仕事をたくさん抱えているために、進化が遅れている存在たちである。
彼らは、あなた方の遅い時間率で振動する物質の天界で機能する肉体を持たなければ、その仕事を完了させることが出来ない。
至福の天界の思索の部屋で、彼らは肉体を持つタイミングを待ち続けていた。
あなたのことである。
 
272 同じ課題を持つ友人
  我々は、いつも同じ課題を負った人々に引き付けられる。
それは、この天界でも至福の天界であっても変わらない。
そして、お互いの課題を解決するため、この物質の天界で場面を整えた上で、巡り合う約束をしてきたのだ。
あなたが隣人に引き付けられる理由を思い出しただろうか?
 
273 巡り合う友人
  あなたが巡り合う隣人は、かつては天才であり、偉大な指導者であり、他の惑星の人々であった。
我々は、同じ課題を持つという関係での友人であり、それ故に巡り合ったのだ。
 
274 意識
  偶然などというものは存在しない。
全ては意識から創造される。
意識とは我々自身のことである。
七つの全ての天界をまたいでいる我々の意識は、始源のゼロポイントに近づくに従って純粋になって行く。
あなた方の物質の天界で意識は、肉体的、物質的な曇りに汚され、あなたは至福の天界での約束を思い出せなくなっているだけなのだ。
 
275 バランスを学んでいる
  あなたがかつて加害者の立場で現実を創造したのならば、今度は被害者としての現実を創造したいと考えるだろう。
我々は、その両方を創造することでバランスを学んでいる。
 
276 慈悲
  あなたが次の生における出演者と思索を取り交わす時―それはおしゃべりなどでは無い―、驚くべき素晴らしいことが起こる。
それは「慈悲」とよばれる。
あなたと出演者の関係が、過去であろうと未来であろうと、加害者と被害者であれば、我々はその両方になるのだ。
それが「慈悲」とよばれる理由である。
 
277 新しい出演者
  さて、いくつもの生において、あいも変わらない出演者に巡り会い続ける人生に別れを告げて、全く新しい生を創造していくことも可能である。
それは、至福の天界で、いつもの友人と約束を交わす前に決断しなければならない。
それはとても重要なことだ。
 
278 踏み台
  至福の天界で我々が仕組むマッピングの最終的な目的は、自己を見つけることである。
内なる聖霊(スピリット)は、自己を見つけるために、物質の天界での踏み台を用意するのだ。
 
279 なっていくこと
  あなたが勝者やら敗者、加害者やら被害者、愛を得た人やら愛を失った人になるのは、あなたが選択したものなのだから幸せなのだ。
私は教えたはずだ。
あなたが人生で選択した運命は、達成することでは無く、なっていくことに有るということを。
それになって、学びを得たならば、それらのことは既に過去に属することなのだから手放しなさい。
 
280 勝者、敗者
  ある存在は成功することで、つまり勝者となることで、別の存在は失敗することで、つまり敗者となることで、おのおのの目的―学びを得る。
それぞれの存在達が、この天界での素晴らしいショーのために一緒に降臨する。
 
281 犠牲者化
  何故、あなたは自分を犠牲者にしたがるのだろう?
何故、あなたはそれを止めないのだろう?
それは、これまでずっとあなたの役に立って来たからだ。
それは、他人を手なずけ、自分を注目させ、自我を通すための有効な手段であったからだ。
では何故、あなたはそれを止めたいのか?
あなたがそれを止めなければ、自分が創造した偉大な未来を得ることも、その創造に参加した驚くべき存在たちの全てに出会えないからだ。
あなたは既に、あなたの来るべき運命を受け入れることを決心したはずだ。
 
282 肉体に関わること
  あなた方は、自分を犠牲者に仕立てたり、奴隷化したり、執着したりと忙しい。
これら一時的な肉体に関わることに囚(とら)われて、至福の天界で創造したものを犠牲にしている。
とても残念なことだ。
 
283 未来に存在する生
  あなたが過去に捕(と)らわれてしまえば、未来に存在するはずの至福の天界で創造した生を、完了させることはできない。
あなたが過去に捕(つか)まると、あなたの来るべき運命の可能性を否定する力が作用するのだ。
 
284 未来を創造する場所
  あなたが至福の天界で創造した生は、物質の天界に投影される。
あなたが物質の天界で出会う友人は、未来から現れる。
というのも、至福の天界は未来を創造する場所だからだ。
 
285 転生の目的
  我々は、何故に転生を繰り返すのか?
広大な理解を得るためである。
我々は空(くう=ゼロポイント)からの探検者であって、どんなに過酷で厳しく困難な領域(ステージ)であっても、夢を創造し実現させることこそが、存在する意義であることを知っているからだ。
 
286 完了させた課題
  しかし、あなたがこの物質の天界で出会う存在たちは、ほとんどの場合は、あなたに内在するバランスの欠如を補正するために出会う約束の元で、タイミングを見計らった上で現れたのである。
お互いの中に愛を見出したのなら、既に許しあっているのだから、その転生の中で再び出会うことは無い。
というのも、お互いが未知を既知にして、その課題を完了させたからである。
完了させた課題は、再び顕現させる必要が無いことは、あなたは知っているのだから。
 
287 ごめんなさい
  あなたには、どうしても「ごめんなさい」と言えない存在がいるだろうか?
一般的には「ごめんなさい」と言うことは難しいことでは無い。
しかし、どうしても「ごめんなさい」と言うことが出来ない存在がいる。
その存在を注視しなさい。
目をそらせてはいけない。
その存在こそが、あなたがこの物質の天界で超えなければならない課題を提示してくれるランナーなのだ。
その課題を乗り越えて、進化しなさい。
 
288 迂回される約束
  あなたが至福の天界で、ある存在と交わした約束が、あなたの勝手な自我の都合で、その生では反故(ほご)になった場合でも、その約束を交わした存在は、別の存在との契約を履行(りこう)している。
置いていかれるのは、いつもあなたである。
しかし、それでも約束を交わした存在との契約は、単に迂回されただけなのだ。
あなたは、その約束を交わした存在との契約は、果たさなければならない。
 
289 あなたの正体
  しかし、あなたの正体は肉体では無い。
あなたの正体は、肉体という衣服を着た、神の意識、スピリット、観察者なのだ。
 
290 動物の性質
  人間は動物であると言われるが、それは一面では正しい。
人間は生存本能、生殖能力、縄張り意識といった動物的な性質を持っている。
肉食動物は騙(だま)し、背後から襲う。彼らは勇敢では無い。
弱い者は大勢で群れ集まって境界線を作り、自分以外の誰か他の者が倒れるのを待っている。
あなたはどれほどこの動物の性質に近いだろうか?
どれほど近いか私には言える。
あなたが無垢な人を攻撃し、債務者を鞭(むち)打ち、与えたのに返さないと恨み、縄張り根性をむき出しにし、性交の機会に飛び付く時、あなたのスピリットは全く機能していない。
それは動物の性質だ。
肉体が創り出された王国の性質なのだから、肉体はそれが上手なのだ。
 
291 C&E=R
  あなたの居るこの分厚い時間の中で、あなたは意識とエネルギー(C&E)で夢を投影して、現実(R)を創造しなければならない。
それは、思考のアーキタイプ(原型)の建造者である。
新たな意識を迎え入れて、新たな友人に出会い、新たな現実を創造しなさい。
 
292 新たな友人
  本当に進化し続ける存在たちは、次々に新たな存在に出会っていく。
古い友人は過ぎ去っていくばかりである。
新たな友人とは、以前は全く共有した転生を持たなかった。
しかし、同じ収束点(ゼロポイント)に向かうという普遍的、最終的な目的を共有している。
このため、未来の約束に基づいて、お互いをランナーとして出会っていく。
 
293 自己を定義する
  あなたが、この遅く振動する天界に降りたのは、何かの罰としてでは無い。
自らの意志でやってきたのだ。
それは、世界を変えるためでは無い。
自己を変えるためなのだ。
自己を実現する、つまり自己を定義するためである。
これが、あなたの事業である。
現実を創造するとは、このことを言うのだ。
 
294 動物から精霊へ
  臆病者である動物は言う。
「お前の責任だ。お前は弱い。お前は俺のものだ。」
しかし、あなたが動物の性質を抜ける時には、こう言う。
「もうこれは終わりにする。終わらせる。
これは私が創造した。その全ての責任は私にある。
あなたには、何の責任も無い。あなたは自由だ。」
その時、あなたは精霊である。
 
295 臆病者
  動物の性質は臆病者の証(あかし)である。
臆病者は動物なのだから、ずっとそのように振る舞うだろう。
苦痛という自らが色づけた汚物、そのような過去の中に棲むのが臆病者だ。
しかし、私が説くあなたの正体は、精霊である。
精霊は、この生でこの時に、自己の現実を創造する。
精霊は、動物の性質を抜け出してから現れる。
 
296 神々への道
  では、過去に、この未知を既知にするという偉業を成し遂げた人々はいたのだろうか?
多くの人たちが成し遂げている。
彼らは天才である。
体験を浄化し、完了させ、砕(くだ)かれた自己を拾い集め、自己を新しく定義し、宣言し、耐え、遂に達成したのである。
これらの天才たちは、喜びの中でこのプロセスを辿(たど)った。
彼らは、再び、神々となったのである。
 
297 あなたと私の計画
  あなたと私(ラムサ)の計画は、人間に神性を取り戻させる、ということである。
それは、あなたと私が準備したものであり、人々の覚醒のための触媒としての役割である。
それは、あなたにとっても人々にとっても、未知を既知にするという偉業を成し遂げるということである。
 
298 至福の天界で大切なこと
  あなたの正体が露(あら)わになる―本性で生きる―至福の天界において大切なことは、何だろうか?
それは、この物質の天界で成功と言われるもの―どれだけ金を稼いだか、どれだけ有名だったか、あるいは清貧だったか、華美であったかなどとは全く関係が無い。
そのようなものを、至福の天界でひけらかす者など誰もいない。注目する者すらいない。
至福の天界で大切なことは、あなたが、この物質の天界―表現する天界―で、自己をどう定義してそれを表現したかということだけである。
 
299 あなたが見た夢
  至福の天界で成就させた自己を、あなたはこの物質の天界で表現することを選択した。
あなたは、この濃密な世界で表現するという機会を選んだ。
その夢を実現することは、神の栄光の実現であり、神を賞賛することである。
錬金術師であるあなたは、濃密な物質界という坩堝(るつぼ)の中で、夢を完了させるのだ。
巨大な坩堝(るつぼ)に湛(たた)えられたミッドナイトブルーの液体、その中で踊り輝く星々を、誰にもつかまえられないあなたの星を、あなたは神の魔法で、器の底にニッケルの小さな球として凝固させる。
あなたは、神の栄光を称(たた)えながら、その現実を拾い上げるのだ。
その時、あなたは夢を実現させたのだ。
 
300 夢を表現する天界
  既にあなたは、至福の天界で自己を神として成就させた。
あなたという精霊は、既に、自分が神であることを知っている。
それなのに、あなたは何故、再び、この物質の天界で自己を神として表現することを選択したのだろうか?
それは、この濃密な物質の天界でしか真の体験として完了させることが出来ないからだ。
この物質の天界はまた、表現する天界と呼ばれる所以(ゆえん)である。
 
301 精霊として生きる
  霊的な存在として生きはじめると、人間としてはうまく行かなくなる。
人間にとって重要なことは、精霊にとっては重要ではなく、精霊にとって重要なことは、人間にとっては重要ではないのだ。
それでも、あなたは精霊として生きていかざるを得ないだろう。
 
302 神になるという夢
  私の教えを聞きにやってきたあなたが、この天界で実現する夢とは何だろうか?
それは、神になるということである。
神になるということ以上に、偉大な夢があるだろうか?
 
303 究極の定義
  自己の究極の定義は、「わたしは神である」ということだ。
この定義を完結させるには、あなたは「神」を定義しなければならない。
 
304 想像という発火
  あなたが聞いている時、脳がとらえた言葉は、絵として発火する。
それは想像と呼ばれる。
それは、あなたの運命となり、目指すべき「しるべ」となる。
これが霊的な思考の方法である。
 
305 聞く態度
  私の教えを聞きなさい。
聞く態度というものが有る。
あなたが聞いている時、脳の中では何が起きているのだろう?
イメージ、ホログラムが形成されているのだ。
それが聞く方法である。
 
306 進化の第一歩
  進化の第一歩とは何か?
自己を定義することだ。
あなたはそのことを、これから学んで行く。
 
307 精霊は至福に震えている
  あなたはここへ、霊的に進化するためにやって来た。
あなたは、それを選択した。誰かに命じられた訳ではない。
あなたは霊的な学びを得て、進化したいのだ。
あなたは、進化への一歩を踏み出したのだ。
その選択は、自身に大きな力を与えている。
あなたという精霊は、今、幸福に震えている。
 
308 神への統合
  あなたが、その生のプロセスにおいて、未知を既知にしてゆけば、ますます神に統合して行く。
それが、我々のやるべきことなのだ。
 
309 唯一の運命
  我々は、「未知を既知にする」という唯一のリアルな運命を持っている。
その運命とは、自己を意識とエネルギーとして、また、一人の神として成就させるべきものなのだ。
 
310 本当の自分とは
  本当の自分とは、顔でも、肉体でも、そして自分で決めた縄張りでも、あなたが自己と他者を区別する境界線の内側でも無いことを理解するのなら、全ての現実を創造し続ける意識であることを悟るだろう。
 
311 もうひとつの偉大な真実
  あなたは、ライトレビューにおいて、もうひとつの偉大な真実を悟る。
他者を分離した存在と見なして行なう行為は、「全てがひとつである」という偉大な真理の力(ちから)を、分散させてしまう、というという真理である。
それは、神の力(ちから)を分散させてしまうということである。
このことは、つまり、自己と他者を一体と見なして行なう行為は、神の力(ちから)をひとつにまとめる、という真理に気付くということである。
 
312 自分自身にする行為
  あなたが、他の人に何かをする時、すなわち犠牲者を作り出す時、無慈悲になる時、無関心を装っている時、罠(わな)を仕掛けている時、容赦しない時、許さない時、それは、自分自身にしているのだ。
 
313 ライトレビュー
  ライトレビューでは、行為を行なった者として、そして行為が行なわれた者として、あなたは自己を回顧する。
なぜなら、あなたは、行為を行なった者であるばかりか、行為が行なわれた者であるからだ。
あなたは、すべてが一体であることを理解するのだ。
自己とは、それほど大きなものなのだ。
 
314 思考という実在
  全ての行為が為される前には、思考が先行して創られる。
それをあなたは、実在として存在させたのだ。
あなたが自己の全てを振り返る、至福の天界でのライトレビュー(光の回顧)において、あなたは、これらの実在の全てを再体験することになる。
 
315 魂の闇夜
  あなたが、かつて他者に押し付けた成就すべき課題が、突然、あなたに引き戻されることが有る。
あなたが、その生を、自己の責任で創造することを決めた時に、それは起こる。
他者に押し付けたその課題は、エネルギーとして、あなたの感情体を通って自己に戻される。
かつて、あなたの感情体から送り出されたエネルギーが、家に戻るのだ。
そのエネルギーは、先ず、あなたの周囲を覆(おお)うエネルギーバンドを通り抜け、感情体を通って、体に衝突し、充電される。
この時、エネルギーは純化される。
と同時に、純化の際の摩擦は、あなたに苦痛を引き起こす。
悲しくも無いのに、涙が止まらなくなる。
呼吸が出来なくなり、むせび泣く。
苦悶が生じる。
誰かに「どこか悪いのですか?」と聞かれても、あなたは答えられない。
あなたは本当に、その苦悶の原因が解らないのだ。
これは、魂の闇夜と呼ばれる。
あなたが、自己の問題を自分で解決し、解放することを決めた、そのあかしなのだ。
 
316 復活の朝
  エネルギーが「魂の闇夜」を通過すると、自己の再定義に着手しはじめる。
問題を解き放ち、完了させはじめる。
そして遂にあなたは、ある朝、突然に目覚めとともに悟るのだ。
夜明け前にベッドから起き上がり、凍(い)てついた窓から、ラー(太陽)が空に上がって行くのを眺(なが)める。
あなたは、その瞬間が、永遠であることを理解するのだ。
「私は自由だ。
私は浄化されたが故(ゆえ)に、自由となった。
私は自己の未完了の課題を全て成就した。
私は自己の本来の力を取り戻した。」
あなたの復活の瞬間である。
ある日、あなたは復活の朝を迎える。
 
317 復活の朝を迎えたあなた
  復活の朝を迎えたあなたは、はっきりとした共時性をあなたのタイムラインに認識し出す。
あなたを取り巻く、潜在していた可能性が、顕現してくる。
至福の天界で、あなたによって創造されたものが、この「表現する天界」で現実化されることを妨害するものは、もはや何も無い。
それは、種が土と水で発芽し、太陽光によって成長するように、ごく自然に現実化される。
努力など必要は無い。全てが降ってくるのだ。
自己の中にキリストが現れ、我々とひとつになって行く。
あなたは、復活の朝を迎える。
何故なら、この地上界は、天の王国の根幹であり、それが、木の葉(上位の天界)を養っているからだ。
 
318 時間の正体
  アセンションしたマスターには、分裂というものが無い。
他方、一般の人々は、自己をあらゆる所に分散してしまっている。
人間は、二つの意識のジレンマに揺れ動いている。
一つは、大脳領域に身体とマインドの意識を持ち、もう一つは、小脳領域に神の意識を持っている。
この二つの異なる意識が生み出す「うねり」のエネルギーが、時間を生み出している。
時間の正体は、神の意識と人間の意識の「うねり」なのだ。
あなたの大脳領域に組み込まれた、身体とマインドに由来する感情パターンは、トラウマとなって肉体のエネルギーをホルモンの貯蔵庫から放出させ続ける。
このトラウマは、中年以降になって、若い頃の代償を支払わせる。
つまり、過去の感情的なトラウマが、時間を使って肉体を消耗させるのだ。
一方、アセンションしたマスターには、意識の分裂というものが無い。
だから、時間も無いのだ。
年を取らないのだ。
 
319 魂の記憶の場所
  物質の天界に降りる時、あなたは、大脳にその記憶を宿らせることは出来ない。
大脳は、肉が支配する脳である。
魂は、小脳に至福の天界での記憶を蓄積する。
小脳、それは、魂が記憶の蓄積を許された唯一の場所である。
 
320 思索
  至福の天界で、あなたにとって重要なことは思索することである。
そのための場所が用意され、深く自己を見つめることが求められる。
物質の天界に特有の社会意識――分厚く、ねばねばとあなたにまとわりついていた意識――そして、自己を修飾していた虚構を、あなたは思索によって削ぎ落としていく。
あなたは、本来の自己に戻っていく。
 
321 思索 2
  あなたは、この物質の天界では、思索を放棄してきた。
あらゆる価値判断を、他人に、社会に委(ゆだ)ねて来た。
あなたは、何を自分で決定し、責任を負ったと言うのか。
自己の権威を放棄し、他人の権威に従っただけでは無いのか?
思索とは、責任を果たすということだ。
それは、純粋な創造である。
あなたの思索が、あなたの自己を定義する。
自分自身を新たに創り出すのだ。
あなたの本来の自己―神―の立ち場で思索しなさい。
それが、あなたが、本来の自己を取り戻す道である。
この物質の天界で、本来の自己(神)の立ち場で、思索する人は幸いである。
彼らは、復活の朝を迎える。
 
322 タイムラインの合意
  我々は、自分に似ているものを引き寄せ、また引き寄せられる。
我々が進化すると、自分に似合わないものは削ぎ落とし、進化した似合うものに寄り添うようになる。
あなたが完了させるべき問題の舞台を必要としているのであれば、同じ問題を完了させようとしている、例えば、六次元の存在との間で、完了の為のタイムラインの合意を取り交わすのである。
これが、至福の天界で行なわれる約束である。
それは、天国で交わされた本当のパートナーシップである。
至福の天界で取り交わされた、あなたの未来に起こる、このタイムラインの合意は表現する天界へ降下して行き、あなたの今の現実として現れる。
あなたの解決すべき課題は、このようにして現れたのだ。
さて、パートナーと取り交わしたタイムラインの合意が、見事に完了されると、あなたとパートナーは、進化することになる。
これこそが、あなたとパートナーの望みであったのだ。
 
323 宇宙の糊(のり)
  相似の力学――我々は、自分に似ているものを引き寄せ、また引き寄せられる――は、愛を創り出す。
では、愛とは何だろう?
愛とは、純粋な神である。それは、与える行為である。
愛は、全てのものを結び付ける宇宙の糊(のり)なのだ。
不足が無いところ、何の欠乏も無いところ、そこには愛がある。
愛は分裂しない。常に一体である。
愛は、一体性という放射エネルギーなのだ。
 
324 タイムラインの成就
  この惑星に住まう、黒人、黄色人、白人、緑色人、灰色人、それらの人種が問題なのでは無い。
乞食、金持ち、貧乏、それらも関係無い。
タイムラインの合意は、そのようなものを条件にしない。
タイムラインの合意は、魂の宿命なのだ。
パートナーと取り交わしたタイムラインの合意を完了させたなら、あなたはパートナーを解放しなければならない。
彼らを引き止めてはならない。
あなたが執着すること無く、パートナーを手放せば、合意は成就され過去を作り出すことは無い。
それは、お互いが、成長し続けるためである。
 
325 不足
  全てが一体で有ることを知れば、そこには何も不足が無いことが解る。
不足が無いのならば、そこには愛の放射が有る。
我々に、創造を超えたものをもたらすのは、愛によってのみ可能である。
不足の状態で創造を超えたものをもたらすことは決して出来ない。
不足の状態は全体から離れた時――分裂した時――に起こる。
 
326 ラムサの祝詞(のりと)
  私の愛する神よ
今日、私の神聖なる聖霊(スピリット)として働きかけてください
私をあなたの領域に引き上げて、そこにとどまらせてくだい
私の愛する神よ
私の聖霊を私の存在から自由に流れさせてください
私はこの知識を自由の中で受け入れます
それが私に明かされることを願います
私の愛する神よ
人生を与えられたことを感謝します
私の愛する神よ
体を与えられたことを感謝します
私の愛する神よ
私をあなたの愛で永遠に満たし
私の人生を祝福してください
そうなるように
生命に
 
327 愛の放射
  不足が存在しなければ、そこには愛の放射がある。
その時、存在は神との一体性に気付き、解放される。
それは、我々すべてが望む道である。
我々が想像を超えたものに成るのは、愛によってのみである。
不足の状態では、想像を超えたものには決して成れない。
 
328 あなた方は何故、天国のようにしないのか
  天国には誤魔化しが無い。
なのにあなた方は何故、ここで誤魔化すのか。
天国には疑いが無い。
なのにあなた方は何故、ここで疑うのか。
天国には悪意が無い。
なのにあなた方は何故、ここで悪意を持つのか。
あなた方は何故、ここで天国のようにしないのか。
天国に行くことを願うのでは無く、ここを天国のようにすれば良いのではないのか。
 
329 自己の神性
  我々が、自己の神性に則(のっと)って行動する時、我々は分裂していない。
その時に我々は自己の神性を表現する。
我々は、その時に自己を定義しているのだ。
自己の神性を露(あらわ)にしているのだ。
 
330 神の本質
  絶望に打ちひしがれた友人や乞食に出会った時、
あなたは自己の神性に衝(つ)き動かされて神性のままに行動したことがある筈(はず)だ。
あなたのその行為は、あなたのあらゆる人生において決して奪われることは無い。
何故なら、その時のあなたは神の本質を表現したからである。
 
331 魂のもつエネルギー
  ひとつになりたい、という魂の憧憬(しょうけい)―あなたの魂のそのエネルギーは、恋する人を殺す事もあなた自身を神にする事もできるほどに凄まじいエネルギーである。
それは、今すぐにでも顕現させることのできるエネルギーである。
あなたが意識をどこに向けるか、それを選ぶのはあなただけだ。
 
332 神になる瞬間
  我々が他者を助けている時、その時こそ我々が神として定義されている瞬間なのだ。
それは人間がこの宇宙に存在する意義を定義する瞬間なのだ。
自分のことを振り返ること無く、他者に対する思慮深さ、寛容さ、親切心を発揮した瞬間こそ、偽善者から神になった瞬間なのだ。
あなたが立ち止まり理性で考えると、あなたは自分の境界線を再定義し、その神になる瞬間を逃してしまう。
神を定義するという偉大な瞬間を失ってしまう。
 
333 我々が最も高尚な時
  他者に対する思慮深さ、寛容さ、親切心を発揮した瞬間―――自己の神を立ち上がらせるという理性に拠らないこの異常な事態は、自己を定義するばかりか自身を永遠の自己に同一化してくれる。
その崇高なる瞬間、我々は至福の天界にいる。
それは、神が働いている時であり我々が絶頂にいる時である。
我々が最も高尚なのは、その時である。
 
334 霊性に立った生
  あなたはこれまでに、他者に対して多くの思慮深さ、寛容さ、親切心を発揮した瞬間を、数多く持って来た。
それらは確かに、あなたが自己の神性を輝かせた瞬間なのだ。
これらの瞬間を、あなたが陥っている数々の問題に適用することが出来る。
あなたが自己の神性を輝かせたその瞬間を受容し、その生を持って生きることで可能なのだ。
それは、あなたの生きる社会によって仕込まれた「理性」と言われるものに制御を明け渡す生では無い。
そんなものに従った生では無く、霊的な自己に立ち返る生なのだ。
「霊性」に立った生である。
「理性」によって分裂させられた感情から去るのならば、何が善で何が悪だなどという意味の無い論争から抜け出て、素晴らしく高貴で霊的な存在になれるのだ。
それをするには、とても力あふれる人になる必要が有る。
その時あなたは、神を定義することが出来る。

解説) ラムサの「神を定義する」とは、言語を持って理解する・説明する、といった理性に依るものではありません。他者に対して思慮深さ、寛容さ、親切心を発揮するという「態度」で示すことなのです。
そうした態度は霊性から現れます。
 
335 我々が一体となる道
  「神は全てである」ということは、「全てのものが霊的な神性の中に存在する」ということだ。
それは過去に属するものでは無い。
人間は、現在では無く、過去にフォーカスして思考するが、神を定義するするには、過去へ向けたエネルギーを手放さなければならない。
それが、我々が一体となる道であり、「神は全てである」ことを体現する道なのだ。
 
336 究極の生
  ここへやって来たすべての人は、霧の中で転生を繰り返す生から抜け出て、自らを定義する生を選択した。
意味の無い同じ体験を繰り返し、それらへの解決策を見出さずに放置する生を抜けて、忘れてしまったものが何なのかを定義する生である。
天国での計画に則(のっと)って、霊的な魂の旅に従い、ここへやって来たのだ。
それは、神を定義するという究極の生となるものだ。
 
337 父の家
  罪悪感に汚された「あなた」という放蕩息子に、父の家へ帰る許可を与えなさい。
その罪悪感は、社会意識という動物のサバイバルをフレームにして植え付けられたものだ。
自己、他者、その境界線、愛、善、悪、神・・・・それらは、間違った社会意識が定義したものなのであるから、あなたは罪悪感など持つ必要は無い。
だから、自分自身を徹底して許しなさい。
あらゆる罪悪感を手放しなさい。
あなたが社会のフレームを偽りとして排除しだすと、人生の危機が訪れるだろう。
あなたはその時、「ラムサなどに出会わなければ良かった。」
「ラムサの教えなど、聞かなければ良かった。」と言うのだろうか。
しかし後悔してはならない。
それは自己の分裂を意味する。
その試練を乗り越えれば、父の家はもう近い。
あなたは乗り越えられる。
それが聖霊である。
父は笑顔であなたを迎えてくれるだろう。
 
338 後悔、罪悪感という過去
  魂の想像を超えた夢を、あなたが実現して来なかった理由が解るだろうか?
魂は天国で創造した「未来」と呼ばれるタイムラインを手繰り寄せようとする。
魂が望むことはただそれだけである。
それなのに、あなたはいつも「過去」のことを思っている。
後悔、罪悪感という過去だ。
魂が夢見る「未来」の途中に、常に「過去」を立ちはだからせて来た。
後悔しながら、どうして想像を超えた創造が可能なのか?
罪悪感を抱いて、どうして想像を超えた創造が可能なのか?
苦しみながら、どうして想像を超えた創造が可能なのか?
それらは自己を分裂させるものなのだから、そこに神がいることは出来ない。
あることを考えながら、別のあることを行うことなど不可能なのだ。
霊的に生きるとは、魂の夢を叶える生を送るということである。
魂の夢は、分裂の中には存在しない。
悩みなどとは無縁の腹ぺこの子供のように食事をしなさい。
あなたが飲み込む一口ごとに、幸せでありなさい。
態度がすべてだ。
 
339 霊的な家族
  あなたが友人と話す、人や場所や物、出来事に基づいた後悔や反感、失敗、失恋、損失とは、嫉妬、羨み、裏切りなどのことでは無いのか。
それらは過去のことである。
そのような事は話すべきでは無い。
それらの会話はあなたをバラバラに分裂させてしまうものだ。
そういった会話しか出来ない友人であるなら、あなたはそこから立ち去るべきだ。
また、あなたは立ち去ろうとする友人を引き止めてはならない。
彼らを自由にしなければならない。
彼らは自由なのだ。
真の友人関係は、決してバラバラに分裂させてしまうことは無い。
家族として個人が集まることは恩寵である。
特に霊的な家族の中では、何の支配関係も無いし、如何なる過去の条件に基づいて集うという同意も無い。
その家族はそれぞれが神であり、その集いは成長していく。
そして、一人の中でエネルギーが成長して変化すれば、それは他のメンバーの全てに広がる。
それこそが我々の望んでいることだ。
神の中で、我々はひとつである。
あなたが隣人を助けた時、あなたは彼らが友人か否かを考えなかった。
自分の中で何かが駆り立てたからこそ、あなたは彼らを助けた。
それが、霊的な家族の関係なのだ。
 
340 夢の現実化
  あなたが天上界で描いた夢が降りてくるにつれて、あなた自身がその夢のメンバーであると同時に、観察者であることを理解し出す。
そして様々な現象が起こり始める。
明晰になっていく。
それ自体、あなたの描いた冒険なのだ。
共時性の風が吹き始める。あなたが仕込んだのだ。
あなたの夢を阻(はば)むものは何も無い。
今まで夢がその片鱗すら見せなかったのは、分裂していたからだ。
あなたが癒(いや)された瞬間、それは起こり始める。
 
341 アストラル・トラベル
  我々は、あなた方のために、未来にアストラル・トラベルの潜在的な可能性を用意した。
何故なら、それがあなた方の次なる開拓地だからだ。
その地は、地上では困難な執着からの解放や、未完了の仕事の完遂を約束してくれる。
また、あなた方は他の存在との邂逅(かいこう)を通して、自分達が孤独な存在であるとの混乱から抜け出すことが可能となる。
あなた方は、進化した存在たちとの触れ合いの機会を持とうとしている。
その機会を通して、全てが神と一体であることを体験するのだ。
あなたの引きずっている問題が解決された時、それはやって来る。
 
342 人生の絶頂期
  普通の人々は自身の絶頂期を偲び、懐かしがる。
元気に飛び跳ねていた若かりし頃、学問に秀でていた頃、成功への階段を登り詰めた頃、一等賞になった時、欲しかった人や子供を手に入れた時、その他諸々の何かを達成した時、それが絶頂期だったのだ。
彼らはそこに閉じこもる。
誰も、それ以上が有るとは教えてくれなかったから。
自分もそこに満足して、別の何かを探さなかったから。
しかし、それらは常に色褪せていく。
彼らは頂点から転がり落ちるしかない。
何故なら、それは終わったのだから。
彼らには理解すべき知恵が無かった。
頂点などは決して無く、ただ永遠へと続く、登るべき階段が有るということに気付かなかったのだ。
普通の人々が思索の庭で、克服すべき全ての問題は自分自身であることを悟ると、再びここでの生へ戻ってくる。
今度の生は、自分自身を定義する旅になるだろう。
 
343 偉大なる先住者
  私の教えを真剣に聴いている人達の中に、微(かす)かな耳鳴りを覚える人がいることが解る。
それは彼らが来ているからだ。
その人の少し上空に、彼らは来ている。
彼ら――この天界の遥かな昔にいた偉大なる先住者たちは、北極星を超えた銀河を監視している聖なる存在たちである。
彼らはそれらの銀河からやって来ている。
聡明な尊敬されるべき、神聖な人々ではあるが、決して崇拝すべき存在でも、頼るべき存在でも、救い主でも無い。
彼らは、とても進化したあなた方の兄弟たちだ。
彼らがあなた方を観察しているのは、偉大な親が幼稚園にいる子供の成長を遠くから見ているようなものだ。
彼らは、あなた方――真剣に私の話を聴き、オープンに追求している人々――がどこまで進化しているのか、変化を起こしているかどうかにとても興味を持っている。
彼らがあなたの上に来ていることが、私はとても嬉しい。
 
344 霊性のパラダイム
  我々が霊性のパラダイムに則って生きるには、生を霊的な意味において扱わなければならない。
それは、この天界がまるで至福の天界であるかの如くに生きていくことを意味する。
嫉妬、羨(うらや)み、怒り、争いといった態度を持たずに生きるのだ。
欲深く、自己中心的で、自己の境界線を固持し、生きるために生き、ずる賢く、人を操作し、利用し、虐待し、偽善者を装うという様な、自分を閉じ込めてしまう生から抜けるのである。
我々は、この表現する天界でそれを、肉体に入ったまま行うことに意義がある。
 
345 神の放射
  あなたが内なる神と共に歩みだすと、あなたの神が外へ向かって輝き始める。
それは聖なる放射である。素晴らしいことが起こり始める。
未来の小さな出来事が人生の中に入って来る。
周囲の植物が花を咲かせる様になる。
頭の上に鳥が飛ぶ様になる。
生きている物も、生きていない物も、周囲のものが光り始める。
手に握った物も、人も若返る。
あなた自身が年をとらなくなる。
その放射は生命を与えているのである。
私の教えを真摯に聴いている人々は、既に気付いているはずだ。
日、一日と過去の自分を解き放って行くに従って、その放射は確実に強烈になって行く。
 
346 魂の闇夜 2
  肉体は感情体を持っている。
我々が外部に放り出し、置き去りにしていた我々の力が、我々の内なる寺院に戻ってくる時、その力は肉体の感情体を突き抜ける。
その時、肉体は懺悔(ざんげ)して泣く。
肉体は感情的になるのだ。
放り出し、置き去りにしていた我々本来のエネルギーが、感情体という門を通ることで浄化され、清らかになって家へ戻ってくるのだ。
それが、あなたの分散されていた本来のエネルギーを取り戻した時に起こることなのだ。
 
347 霊的な態度
  霊性のパラダイムに沿って生を送る様になると、素晴らしいことが起こる。
肉体はその欲求の自己主張を、適正なものにするのだ。
霊性の欲求が満たされるおかげで、肉体の欲求が静まるのだ。
四六時中食べたいという欲求は静まり、時々、食べたいと感じる様になる。
その時、あなたは空腹なのだから肉体に食事を与え満たしなさい。
健康は霊的に正しい態度から始まる。
問題にすべきは健康では無く、霊的な態度である。
肉体の健康は栄養素が要因なのでは無い。霊性が要因なのだ。
 
348 霊的な態度 2
  あなたが臆病で、人生を見ないならば、ビタミンを飲み、エクササイズをしていれば良い。
そうしなければ、栄養素が身体に行き渡らないと言うのならばそうすれば良い。
だが、残念ながらビタミンやエクササイズは、老化や死を延期してはくれない。
肉体の健康は霊性が要因であるという法則は避けられないのだ。
それはそのように働くものなのだ。
 
349 真の健康
  純粋で汚れの無い、清浄なあなた自身である精霊の光を放射させるようにすることが、自己を世話するということである。
それが真の健康である。
我々は、法を与えるものとして、自己の体を自身の放射によって管理するのである。
そして遂に、あなたの体はアセンションをするまでになるのだ。
 
350 聖霊による視力と聴力
  理性という大脳皮質に由来する態度、つまり人間性を諦めて、完全に霊的になるのであれば、あなたにはエネルギーを放射する力が戻って来る。
不安を手放せば、あなたの分散された力が戻って来て、聖霊による視力と聴力が甦(よみがえ)るのだ。
聖霊によって、真実を見て、真実を聴くことが再び出来る様になる。
それはあなたを、聖霊に変化させる錬金術であり、実に容易(たやす)いことである。
あなたがすべき事は、「私はそれを選択し、実行します。」と言うことだけだ。
 
351 衣服は輝かない
  絹やサテンやウールで編んだ見栄えの良い服を着て、格好良く振舞うことがあなたの生なら、とんでもない愚か者だ。
衣服は最初に老いていく。
ぼろ布を着ていても、内面から輝く美しさをが溢れ出す生を創造しなさい。
 
352 それは香りとしてやってくる
  あなたの体をいつも清潔に保ちなさい。
ぼろを着るなという事では無い。
体臭、汗、口臭は毒なのだ。
毒を身にまとって神の玉座―あなたが本来座るべき席―に近づくことは出来ない。
綺麗な体でいることで、あなたの聖霊の最も高いエネルギーというメロディは、香りとともにあなたの元へやって来る。
それは香りとして感じられる。
聖霊の最も高いエネルギーの放射は、天国の香りになって感じられるのである。
 
353 魂と呼ばれる体験の記憶
  我々が人間的なもの―肉体の力学や摂食の力学―へのフォーカスを、霊性へ向けることは宇宙の流れである。
フォーカスが霊性に向けられることで、偉大で崇高な自己、定義不能ではあるがそれでも定義しなければならない自己への帰途につくことが出来る。
そのプロセスで、意識とエネルギーから成る偉大で崇高な自己は、魂と呼ばれる体験の記憶を拡大していく。
これこそが、魂の望みなのだ。
 
354 勤労の態度
  勤労として仕事に従事し、義務を果たした対価として賃金を得ることは誇り高いことである。
マスターの中でこの勤労を行わなかった者はいない。
「今日、私の神聖な聖霊の宿るその場所から、私に仕事をさせてください。」
それがその態度である。
その真の報酬は霊的なエネルギーの上昇だ。
それは、賃金などとは比較にならない素晴らしいものだ。
仕事場とは、聖霊が活動するのに適した場所である。
その日の終わりにもらえる賃金のためでは無く、聖霊の誇りのために働くならば、あなたは神のフィールドで働いているのであり、霊的な一貫性を増すのである。
霊性は、勤労の態度を通して至福の天界からやってくる。
 
355 金にかかわるものでは無い
  霊的な人になるには、ドルやセントで自己を評価することを止めなければならない。
金で自分を誤魔化して生きるという態度を止めなければならない。
自分の聖霊に力を与える方法で自身の聖霊を働かせなければならない。
怠けて手抜きをたり、時間を掛けたり、自由時間を取り過ぎるという態度は、自分の仕事を誤魔化すことである。
大丈夫だ、これはバレないと考えるならば、それは自分に嘘をついているのである。
それは、最悪の誤魔化しだ。
霊的な旅は金にかかわるもので有ってはならない。
 
356 信頼に基づく関係
  あなたが主人として人を雇ったのであれば、彼らを管理すること無く、彼らに創造的な仕事をする許可を与えなければならない。
人を使う責任を担っているなら、正しく法を与える者になるべきである。
それは信頼に基づく関係である。
何故なら、彼らにすることは自分にすることなのだから。
精霊という概念で見れば、真に霊的な存在は、仕えている人なのだ。
高いとか低いとかという態度を、あなたと彼らの関係に適用しないならば、あなたからは愛のフィールドが放射され、その中であなた方は輝き、育ち、開花する。
 
357 労働の対価
  取引をしている人は、自分の中の汚い癖を終わらせるべきである。
職人に頼んで作ってもらった物に付けられた値段、労働の対価を下げさせようとする交渉はしてはならない。
それは愚かで、進歩が無い。
それは国民性に寄るものでは無い。
聖霊には国民性など無いのだ。
あなたが職人の提示した対価を受け入れるなら、あなたは職人に誇りを与えることが出来る。
彼らはあなたを尊敬し、お返しに素晴らしい仕事をしてくれるはずだ。
 
358 真の価値への感謝
  職人が提示した金額に対して、あなたがその職人に
「あなたは自分の価値を下げてはいけない。これは、あなたが言う金額よりもはるかに価値がある。」
と言い、あなたの付けた金額を支払うならば、驚くべきことが始まる。
職人は犠牲者であることから抜け出し、あなたも神の玉座に近づくのである。
取り引きの際には値切ってはならない。
感謝をしなさい。
小さな損得に基づいた価値では無く、真の価値に気付いて、感謝をしなさい。
 
359 霊的な自己
  あなたが、肉体に基づいたアイデンティティでは無く、霊的な存在として自己を見詰めるのならば、あなたはお金のために働くのでは無く、あなたの内なる聖霊の自由のために働いているのだ。
それはあなたの内なる聖霊を顕現するための、最も確かな道である。
 
360 豊かさと貧しさ
  あなた方の中には豊かな富を欲しがりながらも、他人には富を与えることをしない人々がいる。
自分の富を増やすために値切り、駆け引きをし、誤魔化すことで、他人へは富を与えない。
これらの人々は奪う人だ。
どうして豊かさと貧しさが同居できようか。
豊かさと貧しさは同居出来ないのだ。
それは法則では無い。
 
361 タイムラインのプログラム
  あなたがこの人生というタイムラインに組み入れた可能性の中には、「お金の真の問題を根本的に解決する」という計画が有る。
この問題に回答を与えるまでは、あなたはお金に振り回され、こき使われることになる。
一旦、この問題が解決されるとあなたの「お金」は綺麗なエネルギーとして流れ込んで来る。
それからだ。あなたが、とてつもない出来事を体験する扉を開いて行くのは。
これがあなたのタイムラインのプログラムである。
 
362 サバイバルからの解放
  サバイバル―種内の共食い、種間の弱肉強食、縄張り―から解放され、自由になったあなたという聖霊、その聖霊が開く扉の向こうには、どのような出来事が待っているのだろうか。
欲しいものが全て瞬時に手に入る、望みを実現する手段が瞬時に手に入る次元―その次元では、つまり「想像力」こそが真のパワーなのだ。
だからこそ、その次元に踏み入るには、自身のサバイバルを解かなければならない。
あなたがサバイバルの自縛を解かずに、その次元の扉を開けることはプログラムには無い。
私(ラムサ)がそれを許さない。
 
363 生き延びようとするもの
  人を操り、駆け引きをする者はどれほど霊的だろうか?
あなたが時間と労力を掛けた100ドルの仕事を値切る人に、あなたは霊性を見つけることができるだろうか?
彼らは霊性のカケラも持ちあわせてはいない。
値切り、駆け引きをし、出来るだけ安い賃金で働かせようとする時、あなたは霊性から遥かに離れている。
無知なあなたは、それを良いビジネスというのだろうか?
私はそれを貧しい霊性だと言おう。それはサバイバルである。
サバイバルが聖霊よりも長く生き延びようとするなど無理なのだ。
聖霊は決して不足の中にはいない。
 
364 何にフォーカスを置くのか
  あなたは自身の聖なる霊性を輝かせるために、何を犠牲にしようとしているのだろう。
それは、あなたの生において何にフォーカスを置き、何をフォーカスから外すのか、ということだ。
私は、ある存在が全ての有形の物理的な資産を捧げ、擲(なげう)ったことを知っている。
この存在は、霊性こそが生そのものであると知ったのだ。
霊性こそが自身のリアリティである、自己をそう定義したのだ。
それがその存在の思い描く夢であり、体現すべき生であった。
あなたはどこまでそれが出来るだろうか。
ある存在とは、釈迦およびイエシュア・ベン・ヨセフ(イエス)です。
 
365 フォーカスの置き場所
  あなたがたの多くはサバイバルの領域にフォーカスを置いている。
だから、自身の霊性にフォーカスを置くことが出来ないのだ。
 
366 それは試練では無い
  あなた方の天界では、自己の霊性を否定することは意図も簡単なことだ。
因習のため、商売のため、損しないため、自己を正当化して仲間の元へ戻るため、あなたはそれをとても頻繁に行ってきた。
これがあなたの構図である。
だが、あなたには偉大さは微塵も無い。
あなたが受け取るべき体験から逃げ、人間の意識の中に隠れようとするとき、霊性に生きることは試練となる。
あなたが怯(ひる)むから、それは試練となるのだ。
霊性に生きることは本来、試練では無い。
 
367 後悔・罪悪感は聖霊の要素ではない
  あなたは罪悪感を持ってはならない。
私は、あなたの罪悪感を受け入れることは絶対に出来ない。
我々は至福の天界から降りて来た聖霊なのだから、ずる賢いマインド・犠牲者意識・共喰いの精神・・・・そうしたものは持ってはいけない。
もし持つことがあったとしても、後悔・罪悪感もまた聖霊の要素ではないのだから手放しなさい。
 
368 体験の完了
  あなたが何かを後悔するのならば、それは過去に未練を残し執着しているということである。
過去に足跡を残さないということは、後悔をしないということだ。
過去とは単に、体験の完了を意味するものでしかない。
我々は、この物質の天界へ体験を完了させるために降りたのである。
未知を既知にするとは、このことを言うのだ。
過去に拘(かかずら)うのなら、未知を既知に出来ないではないか。
 
369 「今」という頂点の瞬間
  あなたを「今」というこの頂点の瞬間にまで運んでくれた数多くの体験の中から、どうして「過った体験」といったものを創り出すのか。
何故、その体験を後悔しなければならないのか。
過去に囚(とら)われるからだ。
過去に囚われれば、あなたは「今」というこの頂点の瞬間から堕ちていく。
 
370 霊性に生きる人
  断固として霊性に生きるならば、その生を妨害しようとする力からも、生きる力を得ることが出来る。
彼らはエネルギーの方向を変えることが出来るのだ。
霊的な人は、妨害が大きければ大きいほど、より力強く霊性に生きることが出来るのだ。
 
371 あなたの膨大な富
  あなたが手にすべき膨大な富は、至福の天界の高所に置かれている。
そこはあなたの未来に属する領域だ。
あなたはそこへ行き着くことだろう。
あなたの霊性はたどり着くことが出来る。
その富は天上の王国からもたらされるものだ。
それは聖霊のギフトである。
あなたはその富を、この物質の天界にいる自分自身に与えることが出来るのだ。
しかしそれは、あなたが未完了の仕事を完了させてからのことである。
 
372 金(かね)
  金(かね)―世界中の全ての金があなたにもたらされたとして、あなたは自由になれるだろうか?
決して自由にはなれない。
あなたは依然として過去に縛られ続けるだろう。
膨大な金は、むしろあなたをさらに強く過去に閉じ込めるのだ。
だから、あなたの聖霊はそのギフトを決してあなたにもたらすことは無い。
そのギフトがもたらされるのは、あなたが聖霊として未完了の仕事を成し遂げた時である。
それがあなたの聖霊の配慮なのだ。
 
373 値札の無い夢
  あなたの本質である聖霊―その聖霊として送る生の中に自由がある。
夢を抱く自由だ。
それは神の夢―かつてのあなたが決してみることの無かった夢、知り得なかった夢―である。
あなたは、その夢を現実として創造するのだ。
その夢には、値札など付いてはいない。
 
374 始源の意図と思考
  行為と言葉は、意図と思考から創られる。
また、肉体とDNAに刻印される。
始源の意図と思考は、最も外の宇宙の、最も外の形態となって完了する。
あなただ。
 
375 聖なるギフト
  性的な交流が、純粋に霊的な愛の中で行われれば全てのシール(チャクラ)が開き、エネルギーが一気に駆け上って脳の中で爆発する。
それが性行為の中でのクンダリーニ体験である。
誇り高い聖域から、聖なる男と聖なる女にもたらされるギフトである。
 
376 性的な交流
  性的な交流とは神との結合の表象なのだ。
体は神の社(やしろ)であるから、その中に入るものの選択には自由な責任を持たなければならない。
性的な交流は、だから神聖で崇高な行為である。
辱(はずかし)められ、傷つけられ、マーケットで低俗化されるべきものではない。
そこには本来、善悪など無い。
捧げ、受け取るという態度が有るだけだ。
 
377 枯渇の無い統合
  聖なる男と聖なる女は互いに引き寄せあう。
そして枯渇の無い統合として、恋に落ちる。
不足や欠乏から補い合うのでは無い。
二人は互いに与え合う。
そして浴びるほど受け取るのだ。
 
378 過去という仮象
  過去という仮象に囚(とら)われて、甘え、苦しみ、他者をも同じ仮象に閉じ込めようとするのは、人間の卑劣さである。
犠牲者という屈辱的な仲間を造り、お互いに慰め合い、非難し合うのだ。
人間はそれを愛という。
しかし、霊的な我々は、本来の自分を愛そうではないか。
 
379 霊的な愛、人間の愛
  霊的な愛は、人間の愛とは異なる。
霊的な愛は、過去に閉じ込めたり埋没させることは無い。
しかし、人間の愛は過去に逃避し、何れ枯渇となる。
 
380 霊的な学びの関係
  あなた方の関係は美しく始まった。
お互いに夢中になり、清らかな愛に満ち、汚れの無い性のエネルギーで祝福しあった。
その関係は至福の天界で計画されたものであった。
しかし、そこからの学びが終わったのなら、お互いをその関係から開放すべきだ。
非難し合う関係があなた方を繋ぎ止めているのなら、既に霊的な体験の学びは終わったのだ。
 
381 霊性に基づく関係
  真摯で誠実な関係は、お互いの境界線や保護バリアを造らない。
二人は溶け合い、ひとつになるのだ。
それは自然に築かれ、甘美で美しく、純粋な霊性に基づく関係だ。
この関係に、「私はあなたを愛している」という言葉は必要ない。
 
382 愛という言葉
  愛という言葉を使う人々がいる。
しかし、彼らはその意味を誤用している。
彼らは「私はあなたを必要としている」という弱者の依存性を表明するために使用する。
愛という言葉は、人を奴隷にしたり罠に陥れるために悪用されてきた。
それは愛とは何の関係もない。
 
383 聖霊への貢物
  古(いにしえ)の音楽―雅楽、交響曲―は、聖霊に捧げられたものであった。
それは聖霊の魂を癒し、天界へ解放したのだ。
今日、それは商業化され人々の娯楽になってしまっている。
 
384 商業主義
  商業主義は掴(つか)む必要の無いものを掴ませようとする。
それは動物の性質に留めようとする力だ。
社会が押し付けてくる娯楽の中に商業主義の罠(わな)は仕組まれている。
だから、あなたは娯楽に耽溺(たんでき)すべきでは無い。
あなた方は、それほどに影響を受け易いのだ。
 
385 選択の自由
  あなたには常に選択の自由が与えられている。
生とは、選択の自由の行使だ。
何を掴(つか)むか、あれかこれか、あれもこれもなのか・・・・
私は、そうした選択の自由を言っているのでは無い。
私が言っているのは、根本的に、掴むのか掴まないのか
という選択の自由だ。
 
386 赤外線領域のダニ
  物質の天界を取り囲む赤外線領域には、掴もうとする者たちが彷徨(さまよ)っている。
彼らは至福の天界に辿り着けない者たちだ。
彼らは現実を創造する体を持っていないので、自らは掴むことが出来ない。
だから、あなたにウォ−クイン(憑依)してあなたの体験から栄養を吸い取っている。
彼らは、あなたというエサを捕食するダニなのだ。
彼らは生前、この物質の天界にあるとき、自らの手に掴むことばかりを考え、生命(いのち)の源泉を見つけられなかったのだ。
 
387 憑霊
  赤外線領域のダニは、人々が集まる場所にたむろしている。
ダニが木から鹿の背中に降ってくる様に、憑霊(ひょうれい)は建物のアーチから飛び降りてあなたにウォ−クインする。
その時から、あなたは自分でも想像もしなかった行動、人生を破滅に導く行動をとり始める。
しかし、彼らを受け入れたのはあなたなのだから、誰も責めることは出来ない。
 
388
  脳は、我々が事業を完了させるために用いる偉大なコンピューターである。
その回路にダメージを与えてはならない。
 
389 マリファナ
  マリファナの草(大麻草)は、痛みに苦しむ動物を鎮静させるために、慈悲深い神々によって創造された。
その草を食せば、聖霊をショック状態にし、痛みを和らげ、水場に導いてくれる。
苦しみが取り除かれるのは、脳細胞が死んでいくからだ。
だからあなたは、感情的な苦しみや退屈な生から逃れるという理由でマリファナに手を出してはいけない。
それは、霊的になるということではない。
 
390 体験の創造者
  我々は皆、創造者なのだ。
全ては、あなたが創り出したのである。
そして、マスターは自分が創り出したものからは逃げない。
マスターは、その体験を全て自分の責任で受け入れる。
 
391 魂の闇夜 3
  分裂した自己を拾い集め、再構築を始めると、
置き去りにしてきた情緒が、あなたの元へ戻って来る。
至福の天界で、あなたが履修すると決めた情緒だ。
あなたは、その情緒のマスターになることに同意したのだ。
体験から逃げることで置き去りにされた情緒は、あなたが主人になることを求める。
あなたは、その情緒の主人にならなければならない。
 
392 魂の闇夜 4
  置き去りにしてきた情緒が、感情体を突き抜けてあなたの元へ戻る際に伴う肉体の懺悔(ざんげ)を恐れるのなら、あなたは臆病者だ。
そして、その戻ってくる放蕩(ほうとう)息子を感じてあげないのなら、あなたは愚か者だ。
放蕩息子の帰還を涙で迎えて、抱きしめてあげなさい。
 
393 挨拶の言葉
  「お元気ですか?」 「調子はどう?」 「少し痩(や)せたみたいね」
我々は、こんな酷(ひど)い挨拶(あいさつ)を交わすべきでは無い。
それが何になるというのか。
それはただ、会話を作り出そうとするだけではないか。
我々は魂の冒険について語り合おうではないか。
今日という日を創造する言葉から始めようではないか。
「なんと素晴らしい歓び溢(あふ)れる日だろう」
ものがたりをこの言葉から始めよう。
 
394 魂の冒険
  賢くなるとか、金持ちになるとか、健康になるとかといった、或る状態になることを目指すのならば、あなたは問題を抱え、心配しながら不安のうちに生きることになる。
しかし、魂が求める冒険に従って、毎瞬を選択するのなら、あなたは生命の放射エネルギーを放ち出すのだ。
 
395 言葉とイメージ
  私(ラムサ)は、あなたに言葉を伝えただけだ。
しかし、あなたに聴く態度があるのなら、私の言葉からイメージを形成し現実化を図ったのだ。
それらのイメージは、私の哀れな言葉よりも遥かに輝いている。
言葉は、イメージを喚起するために与えられているのだ。
 
396 歓び、幸福、子供の時代
  あなたが生まれてからの歓びは、いつ終わったのだろうか。
かつて、あなたはいつも歓びと共にあったのに。
あなたが生まれてからの幸福は、いつ終わったのだろうか。
かつて、あなたはいつも幸福と共にあったのに。
あなたが生まれてからの子供の時代は、いつ終わったのだろうか。
かつて、あなたはいつも子供の時代と共にあったのに。
それが、いつなのか誰も答えられない。
そういう風にして、あなたは歓び、幸福、子供の時代を忘れたのだ。
それでもいつも、あなたは、歓び、幸福、子供の時代と共にあるのだ。
それに気付きなさい。
 
397 失われた歓び
  あなたはいつから歓びを失ってしまったのだろう。
重荷を背負ってこの道を歩むこと、決められた態度を執ること、といったことが、生きることだと教えられてからだ。
歓びは、他の人々やモノの中に有って、人に認められることや成功することに有ると教えられてからだ。
 
398 恵みの思考
  あなたが、生と聖霊が恵みであると識(し)り、それに感謝をするのなら、そしてそれを続けるのならその思考(恵み)があなた自身になるのだ。
 
399 問題の核心
  あなたは何ゆえに幸福を求めるのか?
あなたが欲しかったモノ、人間関係、食べ物を手に入れると、それらは急速に輝きを失っていく。
そうして、次、次と取り換えていくのだ。
いつまでそんなことを繰り返すつもりか。
幸福を求めても、それがもたらされることは無い。
この問題の核心は、あなたが自分自身を神の玉座から降ろしたことにある。
そして、あなたがそのことに気付いていないことにある。
 
400 無時間
  至福の天界で創造された奇跡は、あなたが無時間の中にいると、この物質の天界へ降下してくる。
シンクロニシティ(共時性)の風が吹き始めるのだ。
無時間―それは過去を溶かした、今という素晴らしい瞬間のことである。
 
401 想像を超えた想像
  あなたは、想像を超えた想像をすることが出来るだろうか。
人間の想像は、時間の帯の中でしか起こり得ない。
全ての時間が今になる無時間の中でのみ、想像を超えた想像が可能なのだ。
 
402 情緒の責任
  どんなことであれ、あなたの失敗の責任の全てはあなたにある。
このことを認めるなら、後悔の念という感情の責任の全てが自分にあることを認めることが出来る。
あなたの情緒の全ての責任はあなたにあるのだ。
このことを理解すれば、あなたは至福の天界で遊ぶことが出来る。
至福の天界での創造を、この現実に降ろすことが出来るのだ。
 
403 これが私だ
  自分を省みて、「それは私だろうか」と謙虚に問いなさい。
自分を守るためでは無く、他者を陥れるためでは無く、ただ謙虚に問うのだ。
そしてあなたの目指すあなたを、勇気を持って応えなさい。
「これが私だ」と。
 
404 マスターへの道程
  マスターへの道程は困難ではない。
スタートが難しいのだ。
自分自身を克服する覚悟がこのスタートである。
 
405 至福の天界
  私は至福の天界の色々なことをあなたに伝えた。
しかし実は、そうしたことはあなたには必要も無いことなのだ。
何故なら、至福の天界は、あなたの想像を遥かに超えた場所なのだ。
あなたには到底、想像することは出来ない。
あなたの想像を絶する天界が有るということ、そして、あなたはいずれそこへ行く、そのことだけは知っておくべきだ。
 
406 父親、母親
  それでも、母親があなたを子宮で育てたこと、父親があなたという種をもたらしたこと、あなたを養い、服を着せ、保護してくれたことに感謝しなさい。
彼らは尊敬に値する。
彼らが、あなたをマスターへの道へ進ませない様にしようとしても、それを赦しなさい。
何故なら、彼らも最高の愛を放つ神々なのだから。
 
407 両親
  あなたが最も扱い難いのは、あなたの両親だ。
彼らは、自分の子供がマスターへの道を歩むことを屈辱的なこと、恥ずべきことと考えている。
 
408 他者の声
  あなたが何ものにも依らず、自分自身の力で立つことが出来るならば、他者の如何なる声にもたじろがず、迷うことも無いだろう。

 

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